2023年10月27日 (金)

「観光ボランティアと歩く・なら」乱世を生きた安堵氏と窪田氏ゆかりの地散策

観光ボランティアと歩く・なら

   「乱世を生きた安堵氏と窪田氏ゆかりの地散策」

令和5年10月21日(土)  JR法隆寺駅改札前8時40分集合・順次出発

12時30分安堵町中央公園にて昼食後 バス・徒歩にて法隆寺駅前流れ解散

参加人数 38名 (受付参加者 30名+観光ボランティア 8名)  

法隆寺改札前にて受付

Sdscf5064

大和路線沿いに天理軽便鉄道の線路跡へ・・・

Sdscf5066

コスモスと黄金の稲穂を左右に鉄道線路跡の小道をたどる

Sdscf5069

安堵町・木戸池の軽便鉄道橋脚跡(町の指定文化財)

Sdscf5077

東安堵にある荘司家  町の指定文化財

塀の東南角には下半分が埋まった「右ほり(うし)」「左すてん(しょう)」と刻まれた古い石の道標があります。

Sdscf5079

 

飽波神社鳥居  扁額「安久波社」は安堵町を愛した人間国宝の陶芸家・富本憲吉の揮毫

Sdscf5081

例年10月第4日曜日が秋祭り。幕や御神燈が飾られて、今日は宵宮。夜店も並び4時からは奈良県民俗有形文化財に指定された「なもで踊り」の奉納も行われます。

折角ですので拙い一節をお聴きください。「🎵テーン ツクツ テンツクツ テンテン ツクツ テンツクツ 目出度さは 一本エノキのめでたさは もとは黒鉄 中 黄金 枝は白金 枝は白金 すえには 銭がなるとも🎵」 江戸時代からの古文書に記された歌詞です。

Sdscf5083

いつもは拝殿からしか見ることが出来ない本殿。今日は近くでお参りできました。写真の皆さん本殿の後ろへ!何があるのでしょう?

「影向石(ようごういし)」その昔、この石に牛頭天王が垂迹(すいじゃく=神や仏が宿るの意味)され三日間、光を放っていたと伝えられています。暗くて写真はうまく映ってませんので悪しからず。

Sdscf5084

飽波神社から太子道を北に歩いて行くと広い道から一筋手前に細い路地があります。この路地は天理軽便鉄道が通っていた線路跡です。信じられない道幅ですが写真左側の白い物の場所には安堵駅がありました。

Sdscf5087

路地を抜けると、ビックリ‼ 宵宮の神輿の準備が氏子さんたちの手で。

Sdscf5089

栴檀(せんだん)の古木に守られて「八王子神社」

Sdscf5090

家々の軒には御神燈が掲げられています。

Sdscf5091

 

観光館「四弁花」で小休止。正面奥の建物が富本憲吉生家(現在は料理旅館うぶすなの郷安堵城別館があった地とされる。

Sdscf5093

 

大宝寺 (融通念仏宗)  安堵氏の持庵と伝えられている。

Sdscf5094

たわわに実をつけた大きな花梨の木が塀越しに。 

Sdscf5095

境内には筒井順慶供養の五輪塔があり、富本家墓所跡の石碑も建っている。

Sdscf5097

安堵町観光駐車場で安堵城についての説明。写真奥のこんもりした木立付近は大将軍垣内で先ほどの八王子神社などがあった場所。付近には昔、大将軍と呼ばれた大きな池があり甚八と言う小字名が残る町役場南側の一帯は民俗歴史資料館にかけて、江戸時代初め頃にはまだ安堵城の痕跡の土塁が残っていたそうです。

Sdscf5098

 

歴史民俗資料館  古代米のはざ掛け(はせ掛け)

Sdscf5099

ムラサキシキブ

Sdscf5101

綿の花

Sdscf5102

 

窪田城   中家住宅 国の重要文化財

二重環濠を持つ美しい造形美の大和棟が特徴の中家。広大な敷地の中のほとんどが重文指定を受け石垣ひとつ、柱一本にも護り継がれた歴史が感じられます。窪田氏の子孫である中家。現在の屋敷は江戸時代創建と推定されますが、窪田氏の居城である窪田城の流れを汲むものです。

Sdscf5108

門屋前の堀に掛かる板橋。侵入者を防ぐため中央部が取り外しできる。

Sdscf5111

鋭い棘を持つ「からたち」黄色い実がお出迎え。北原白秋・詩集「からたちも秋は実るよ まろい まろい 金の玉だよ」

Sdscf5123

母屋の大和棟 左の瓦屋根の上の小屋根は「煙出し」

Sdscf5113

勾玉状に並ぶ11の焚口を持つ竈

Sdscf5116

長い歴史を感じさせる黒光りする天井・釘一本も使われていない太い梁の造形・竈の煙で竹の天井の害虫が駆除出来る等など先人たちの生活の知恵には頭が下がります。(写真中央の四角い部分が煙出し屋根へとつながっています)

Sdscf5117

中家に伝わる二つの梅干しの壺 

445年前(室町幕府から信長の時代への変換期) 255年前(江戸時代・田沼意次老中のころ)

「食べられますか?」「塩と梅だけで漬けてあるので、お味のほうは・・・大切なものですので(笑)」

Sdscf5119

中庭の見事なススキ!奥様にお尋ねすると「矢筈(ヤハズ)ススキ葉に鷹の羽に似た斑入りで生け花などに使われるそうです。

Sdscf5120

持仏堂 中家のご先祖を祀るお堂。以前は華蔵院と呼ばれ、ご住職が庫裡にお住まいだったそうですが、今は無住。

Sdscf5128

「敷地内に自分のお寺が有るなんて凄いな!」「立派だね。」

Sdscf5124

右側の茅葺の建物が庫裡

Sdscf5126

庫裡の土間から上を見ると屋根の骨組みが良くわかります。

Sdscf5125

 

左下(さげ)大明神社(天神神社)

ご祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノ ニニギノミコト)現在は写真のような小社ですが、大和川改修までは大きな境内地を持った神社でした。筒井氏の氏神として筒井城内で祀られていたものを永正2年に筒井順盛が窪田庄内に勧請した。当時は筒井氏をはじめ、家臣の武士たちが維持していた祭祀を中家が受け継いだと伝えられています。

Sdscf5131

 

馬場塚 窪田地区の水田で囲まれた塚に武田氏家臣の馬場美濃守信房の供養塔として伝わる小型で不完全な五輪塔があります。この石造物によって筒井一族の窪田氏と馬場氏の関わりが想像されます。銘文が彫られた地輪と付随する馬場塚全体が町の文化財に指定されています。

Sdscf5134

 

杵築(きつき)神社 窪田全体の総氏神で窪田大宮と呼ばれ素戔嗚尊が祀られています。平安時代川西町吐田の杵築神社から大和川右岸に勧請され、さらに大和川改修により500mほど北の現地に移転。本殿は創建以来春日式が採用され、現在の本殿は文化年間に奈良春日大社若宮本殿の造営時に旧本殿を拝領したものです。

Sdscf5136

Sdscf5139

杵築神社を後にしてランチタイムの中央公園へ

Sdscf5142

中央公園での昼食後、バスで法隆寺駅や平端駅に向かう人達と別れ、徒歩で法隆寺駅までひと頑張り。聖徳太子に見送られて帰路につきました。

Sdscf5143

 

アンケート用紙や会話の中からご参加の皆様のお声を記します。

「のどかで良かった。」「適度な距離で丁度よかった。」

「見学地がコンパクトで少人数の班分けの案内が良かった。」

「丁寧なしっかりした説明が良かった。」「ガイドさんに好感が持てた。」

「家内に無理やり連れ出されたけど、来てみて気持ち良く楽しかった。」

「バスの時刻案内が資料にあったのが助かりました。」

「折角だから法隆寺を見学して帰ります。」

「個人的にグループで来てもガイドしてもらえますか?」

はい、ご連絡お待ちしています。

「安堵城跡が無かったのが、とても残念でした。」

こればかりは私たちガイドも同じ思いですが如何ともし難くて、ごめんなさい。

半日あまりで、行き届かぬことも多々あったことと思います。皆様のお声が励みになります。安堵町のウォークのご案内を見られましたら是非是非ご参加ください。お待ちしております。気候不順な折柄 お風邪などひかれませんようにお元気でお過ごしください。

***** 今後のウォーク予定のお知らせ *****

令和5年12月10日() 「天理軽便鉄道跡をたどる」

令和6年2月11日()  「砂かけまつり」  詳細未定

令和6年4月7日()   「花まつり」    詳細未定

 

| | コメント (0)

2023年6月 4日 (日)

安堵小学校 中家体験学習 タケノコ収穫と見学

中家体験学習

タケノコ収穫と中家の見学    安堵小学校3年生20名(うち1名欠席)引率の先生2名

令和5年5月26日(金)  午前10時~11時

 

今年は桜をはじめ季節の花々も早く咲きました。例年なら6月になって出てくるタケノコも5月でニョキニョキ。

中家玄関の堀の橋のそばに「からたち」の実がなっていました。ミカン科のこの樹には鋭いとげがあります。春に白い花が咲いて秋には、この実が黄色に熟します。北原白秋作詞の唱歌「からたちの花」が有名です。

Line_p20230530_23112139

例年なら2クラスですが少子化の影響がこれほどとは・・・正直驚きました。

中庭で中家の歴史を簡単に説明・・・室町時代から続く武士で戦国時代には窪田城という平城がありました。豊臣秀吉の時代に帰農(農民になる)して地域の大庄屋としてリーダー的な役割を果たしました。

Sline_p20230530_23121388

主屋で勾玉状のかまどを見学・・・煙返しの太い梁、煙出しの小屋根に向かって開けられた天井。三和土(たたき)と呼ばれる土間の説明。水害などに備えた11基のかまどの役割など熱心に聞いている生徒たち。

Sline_p20230530_23122137

湯気が出ている鍋には、事前に茹でていたタケノコが。かまどの焚口の火はもう消えかけていますが、興味津々。

Sline_p20230530_23122796

箸でつかんだタケノコ。「もうOKかな?」

Sline_p20230530_23124330

茹で上がったタケノコを紙皿に取り出しました。「ゆっくり見てね。これから皆が収穫するタケノコもお家でお料理してもらってね。」

Sline_p20230530_23124929

Sline_p20230530_23130005

中家の奥様に見せてもらう天正時代から伝わる日本最古の梅干しをのぞき込む生徒たち。

Sline_p20230530_23130727

さぁ、タケノコの収穫!注意点とコツを教えてもらう。「あんまり大きいのは固くて美味しくないよ」 「根元をポキッと折るんだよ。足で蹴ってもいいよ」 「ミツバチの巣箱があるから近づかないでね。」

Sline_p20230530_23131401

「足元、気をつけてや!」  「あっ、あそこにも生えてる。すご~い」

Sline_p20230530_23134930

「ヨイショ、ヨイショ。大きいな」  「僕はもうとれたで!」

Sline_p20230530_23141257

「はーい。こっち向いて。」満面の笑顔で先生のカメラに向かってポーズ

Sline_p20230530_23144334

持仏堂の見学・・・「すごいな。中さんとこだけのお寺なん?」

「3500坪のお屋敷の石垣までもが、「国の重要文化財」これは、中家だけのものではなくて、私たちの故郷の宝物でもありますよ。それをみんなで協力して守り続ける気持ちがなにより大切だとおもいます。おとなになってもわすれないでね。」

Sline_p20230530_23115815

庫裡の中・・・「座り流し台」「水屋」「持ち出しかまど」で当時の暮らしの様子。そして天井の空いているところから、屋根の土台の骨組みを見て茅葺の葺き替えの話を聞く。

Sline_p20230530_23145613jpg_1

裏木戸のそばにある猿猴杉(えんこうすぎ)この細長い枝が手なが猿みたいでしょう!」

Sline_p20230530_23145613

裏木戸を出て中庭に集合。中家のご夫妻やボランティアにお礼のご挨拶「ありがとうございました。」

「さぁ、学校へ帰りますよ。」  みんなのタケノコは車で学校へお届けし、無事に終了。

Sline_p20230530_23145613jpg_2

タケノコのようにスクスクとお元気なご成長をお祈りいたします。安堵観光ボランティアの会一同

 

 

 

| | コメント (0)

2023年4月17日 (月)

JRハイキング 花まつり

JRふれあいハイキング

 「斑鳩から安堵へ なごりの桜を愛でる」***花まつり

 

実施日時 令和5年4月9日JR法隆寺駅 改札前9時受付・9時半順次出発~順次解散12時頃 予定

 (安堵町民  カルチャーセンター前 9時半集合~花まつり参加後 各自の予定で流れ解散)

参加者人数   駅受付29名+町民16名+観光ボランティア12名   合計57 

 

 

全国的に桜の開花が早く葉桜になりかけています。そのうえ府・県知事選と府・県議選の投票日と重なってのふれあいハイキングとなりました。メインの「花まつり」は本来は4月8日ですが善照寺のご協力でハイキングに合わせて二日続きのご法要となりました。「期日前投票してきたよ」「半日コースだから帰ってからでも間にあうね」「花まつり実際に見るのは初めて」笑顔の花が咲いてのスタートです。

 

天理軽便鉄道跡  斑鳩から安堵へと続く鉄道跡(中央の土手状)

Sdscf5001

Sdscf5002

安堵町・木戸池の軽便鉄道遺構(中央の土手状のもの)

Sdscf5007

木戸池北側から見た遺構(土手の中央の空いた所には小さな鉄橋跡)

Sdscf5003

 

トーク安堵カルチャーセンター  

駅からの1班の方に続き町民参加者もスタート

Sdscf5008

太子道(筋違道)説明板カルチャーセンターと隣接する福祉センター北側

「王寺の辺にも太子道あるよね?」「あちらは太子葬送の道とも言われてます」

Sdscf5011

「安堵町立こども園」沿いの太子道

「聖徳太子さんも この道を通りはったかもね」

Sdscf5012

広峰神社西の太子道(南北)と業平道(東西)の交差点

「昔々のメインストリートだったんでしょうね」

Sdscf5013

春霞の山を背に法隆寺の五重塔の中に  「見えた。見えた。」

Sdscf5014

広峰神社 姫路広峰神社の末社

Sdscf5015

境内には無患子(ムクロジ)の大木が。

「子供が患うことなく健やかに育ちますように。中の黒い実は追羽根遊びの玉に使われます」

「実が生って落ちるころ拾いに来なくては」

「皮にあるサポニンは石鹸の代わりに使われたって聞いたよ」

Sdscf5019

今は小さなお社ですが聖徳太子がお妃の膳部菩岐々美郎女と晩年をお過ごしになった「飽波芦宮跡」との説もあります。因みにこの辺りには「飽波」の字名が残っています。飛鳥時代には富雄川は「富の小川」と呼ばれる小さな水路で場所も現在とは随分ずれていたそうです。推測ではありますが、ひとつの宮の西部(斑鳩成福寺跡)と東部(安堵・広峰神社)にまたがる敷地である可能性もありそうです。凡人のロマンでしょうか?

Sdscf5020 

「花まつり」  浄土真宗 善照寺

山門前でのご案内 「応仁の乱の応仁?古い歴史のあるお寺やね」

Sdscf5030 

「あれが根上がりの松だ」「大きいね」

Sdscf5021 

山門前の水路 「見て!きれいな鯉」「餌を食べてるよ」

S18448 

「本堂へ、どうぞ」

Sdscf5022 

本堂裏庭の「牡丹桜」手折って活けてありました。花まつりに合わせて咲いてくれたみたい。

Sline_p2023412_231834

ご住職のお話  「花まつりの由来」

ある日、王妃摩耶(マーヤ)夫人は天から降りてきた白象が胎内へ入る夢を見ました。白象は、古来インドの人々の間では気高いものの象徴となっていたので、尊くしかも清浄な心の人がこれから世に出ることを暗示していました。摩耶夫人はルンビニーの花園でご出産されました。この幼子がのちの「仏陀」・「お釈迦様」です。誕生後間もなく七歩歩いて、右手を天に、左手を地に向け「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)。三界は皆苦なり。我まさにこれを安んずべし。」と高らかに叫ばれました。ブッダの神格化されたこの伝説については、「天の上にも天の下にも私(の説く教え)が最も尊い」という意味がありますが、同時に「私たち一人一人の命は、独自の尊さを持つ」ことを示そうとしているのではないでしょうか。   天は、のちの仏陀誕生を祝い、やがて日の光のように清らかな、冷たい水と暖かい水の、二筋の流れが幼子の頭にそそがれました。これらの伝説にちなんで、仏教寺院では「花まつり」には誕生仏に甘茶をおかけし、お祝いをいたします。

また「花まつり」のお祝いは、子どもたちの健やかな成長を願う行事でもあり、私たちも人として生まれてきた意味を今一度確認する行事でもあります。

 

ご住職のお話に耳を傾ける様子が写真からも伝わって、心がほっこりしますね。

S1681022997891

花まつり釈迦誕生仏 

Sline_p2023412_231807 

法話のあとで、一人ひとり甘茶をかけ心を込めてお参り。

レッドカーペットには地獄餓鬼畜生修羅人間天上の六道が示され仏の世界へと

Sdscf5028 

善照寺の花まつりを終え一部の町民参加の方は各々帰路に。「お気をつけて」 「またね!ありがとう」

ウォークを楽しむ方々は業平道を斑鳩へ  

写真左に高安の森・・在原業平が河内の高安の姫のもとに通う途中、立ち寄った集落。娘たちはプレイボーイの業平の目に留まらぬよう鍋釜の墨を顔に塗り、わざと醜くしたとの逸話がある。

Sdscf5033 

調子丸古墳(太子の従者)・駒塚古墳(愛馬・黒駒) 

Sdscf5034

上宮遺跡公園   歌碑めぐり 黒字(写真なし)赤字(写真あり)

いかるがの さとの をとめは よもすがら きぬはた おれり あきちかみ かも(會津八一)

ちはやふる かみよもきかず たつた川 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平)

Sdscf5035 Sdscf5036 

斑鳩の 因るかの池の よろしくも 君を言わねば おもいぞ吾がする (万葉歌碑)

Sdscf5037

 

しなてるや 片岡山に いひにうゑて ふせる旅びと あはれ 親なしに なれなれけめや 

  さす竹の きみはやなき 飯にうゑて こやせるたびびと あはれあはれ(聖徳太子)

 

いかるがや 富の緒川のたえばこそ わがおほきみの み名をわすれめ(拾遺和歌集)

 

***午後から法隆寺にお参りする方が各班に数人。ここでお別れして国道へと***

「お気をつけて」  「ありがとう」  「さら」

 

成福寺(廃寺)跡   飽波芦宮跡の説あり

Sdscf5038

駅からご参加の方はここから法隆寺駅へとご案内。町内の方は各自流れ解散となりました。

 

コロナも完全収束には至らないものの、季節と共に少し活気を取り戻したような日々。「花まつり」お楽しみ頂けましたでしょうか?

「写真やTVでは見たけど、自分で甘茶かけするなんて初めての経験でした」

「ご住職が女性、それも若くて美人。びっくり」「これってセクハラ発言かな?」

「桜が残ってたら最高だった。でも花入れの牡丹桜のピンクが造花かと思うほど綺麗だった」

「住職のお話が聞き取りやすい声で、とてもわかり易くて良かったです。」

「ホント。お寺さんの話ってもっと辛気臭い思ってたけど、本堂で椅子に座って良い空間でした」

でも良いご感想ばかりではありませんでした。反省材料です。

「駅に着くの予定より遅かった。こりゃぁいかんで。説明が丁寧過ぎるんちゃうか?時間配分考えなぁ!」

「どこか昼、食べるところ教えて」「ネットで見たけど、若竹ってどこ?」

地元にいるからこそ気づきにくい、これから電車で帰る大変さや空腹感。さすがに「若竹」は知ってましたが、駅界隈を他所から視点で勉強しなければと再認識致しました。貴重なご意見ありがとうございました。

気温差の激しい昨今です。くれぐれも、お健やかにお過ごしください。またの機会にお会いできますことを念じつつ。改めて「ありがとうございました。」  安堵観光ボランティアの会 一同

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

| | コメント (0)

2022年12月11日 (日)

JRふれあいハイキング 安堵の里と大和川の道を歩く

JRふれあいハイキング

「安堵の里と大和川の道を歩く」

実施日時 令和4年12月4日() JR法隆寺駅改札前にて受付 9時半順次出発~14時20分順次解散

参加人数 参加者29名 + 観光ボランティア10名   合計 39

 

受付

雨の予報が曇り空ながら寒くもなく、絶好のハイキング日和。滋賀県などご遠方の方もいらして3グループの分かれて出発。

Sdscf4552

 

天理軽便鉄道跡  JR法隆寺駅前の軽便鉄道法隆寺駅の遺構に向かう

Sdscf4555

斑鳩町内の田の中の小道・・これが軽便鉄道の跡です。線路幅76.2㎝

Sdscf4556

安堵町木戸池の軽便鉄道の橋脚跡を望む。

Sdscf4561

西(法隆寺駅)から東(安堵)に続く橋脚土手

Sdscf4562

軽便鉄道に並行してJR大和路線があります。丁度電車が・・・シャッターチャンス

Sdscf4564

西安堵の庄司家安堵町登録有形文化財) 西安堵の環濠集落の説明中でしょうか?塀の角には道標が(次の写真)

Sdscf4567

道標  右 ほりうじ(法隆寺)  左  すてんしょん(ステーション)

Sdscf4569

 

飽波神社  

太子道沿いにある鳥居扁額「安久波社」の文字は陶芸家で人間国宝の富本憲吉が揮毫

Sdscf4581

境内の木々の葉が赤や黄色の秋色に。

Sdscf4575

 

「観光館・四弁花」

Sdscf4584

展示室   熱心に見学。中でも灯芯に関心があったみたいでした。

Sdscf4583

 

紫雲山 極楽寺  本堂 ご本尊「阿弥陀如来像」重要文化財

Sdscf4585

松の樹の側が本堂  写真右手のお堂には「広島大仏」が。

Sdscf4587

広島大仏のお堂へ入って見ましょう。

Sdscf4588

御簾越しでお顔が見えにくいので、ドアを閉めてご覧になってください。

Sdscf4589

極楽寺近くのお宅の屋根に飾り瓦が・・・建築の事はよくわかりませんが、白い三角壁は「破風」そこから延びた小屋根は「うだつ」でしょうか?いずれも防火、防災の為だそうです。飾りは守り神かな?  参加者の方が見つけて下さいました。

Sdscf4590

 

高塚 聖徳太子が愛した鷹を埋めたとの言い伝えがある墳丘。以前は富本憲吉の作品「老樹」のモデルとなった栴檀の大木が在りました。右手の小さな祠には「観音菩薩」が祀られています。

Sdscf4591

右手の聖徳太子モニュメントを眺めながら「中家住宅」に向かう。

Sdscf4592

 

窪田の中家近くの畑で農家のご主人Tさんがミカンを収穫中。「こんにちは」と声をかけると中さんとこを見学に行かれるのなら」とハイキングの皆さんにと沢山の「夏ミカン」「柚子」などを箱に入れて道沿いに用意して下さいました。「見た目は悪いけど、どうぞ遠慮なく持って帰って下さい。」

参加者の皆さん「こんなの貰っても良いの?」「ママレード作るから3個良いかな?」「柚子は種だけ取り除いて丸ごと氷砂糖とビンに入れて置くと果汁が沢山出て重宝するよ!」「ひゃぁ、嬉しい」

 

Tさん ありがとうございました。皆さん大喜びでリュックへ詰めて帰られましたよ。

Sdscf4595

 

中家住宅 重要文化財  

(中家のご厚意で、敷地内で昼食をとらせて頂きました。)

濠越しに入船の庭を説明  

Sdscf4597

大和棟が美しい母屋外観

Sdscf4599

萱の網代天井

Sdscf4601

太い梁は「煙返し」と呼ばれかまどからの煙が座敷に来ない工夫

Sdscf4603

勾玉状に並ぶ11基のかまど  いつもとアングルを変えて少し上から撮影

Sdscf4605

米蔵の方から中庭越しに母屋を。

Sdscf4608

小雨がぱらつく竹林を通り持仏堂へ。

Sdscf4610

左手のミカンは「八朔」まだ時期が早そうです。

Sdscf4611

持仏堂   竹林を通り抜けると庫裏が見えてきます。

Sdscf4612

先祖を弔うための中家の寺(華蔵院・現在は廃寺)

Sdscf4616

屋根の上の黄色の丸印のしゃちほこのような物は「マカラ」と呼ばれインド神話に出て来る怪魚

Sdscf4617

中央の小さな土蔵には秘仏の「歓喜天」が納められています。歓喜天はインド神話の神。生駒の聖天さんも歓喜天が祀られています。

Sdscf4619

上の写真左手にある樹。参加者の方が見つけて下さいました。

「猿猴杉(えんこうすぎ)」長い葉だけがつく所と短い葉だけがつく所が交互にあり、その形が「テナガザル」を連想させることから名づけられました。突然変異種で挿し木などで増殖。

Sp20221205_00080181

 

天神神社  「左下大明神」と呼ばれる筒井氏の氏神 石田氏・中氏に管理をを頼んだと言われる社。現在は中家でお祀りしております。

Sdscf4620

 

馬場尻橋を渡り大和川南岸(川西町)へ

Sdscf4621

 

曹洞宗 圓海山 南陽寺(南陽禅寺)

Sdscf4622

扁額「圓海山」と記された山門の右側には「如是禅林」の木札が掲げられている。

Sdscf4623

ご住職が焼香台を用意して下さる。参加者の中に中国の方がいらして「焼香」について質問。「自分自身の穢れを落とすために行われるもので、心身が清らかになってから仏や故人に向き合うと言う意味を持つ」とのお話に皆、熱心に聞き入る。

Sdscf4624

ご本尊 釈迦牟尼如来

Sdscf4625_20221210201501  

 

馬場尻橋の川西町側で富本憲吉「大和川急雨」誕生秘話と当時の風景を説明

Sdscf4627

 

下窪田 杵築神社  素戔嗚尊がご祭神(江戸時代には牛頭天王社と呼ばれていた。)

Sdscf4628

地蔵堂  平安時代一木造りの地蔵菩薩立像が安置されている。

Sdscf4631

 

笠目 御霊神社 御霊信仰とは(天災や疫病の発生を「怨霊」の仕業とみなし畏怖、これを鎮めて「御霊」とすることで平穏と繁栄を実現する)との考えに基づいたもの。当社の由緒は不詳。境内には天保6年奉献の銘文のある狛犬が残されています。

Sdscf4632

 

ここでのお参りを最後に駅に向かいます。一日お疲れさまでした。最後に恒例のハイキング中のエピソードなどを少し。

四弁花で灯芯の現物に触って「ふわっふわ。これで和ろうそくが作れるんだ。」

2本のスティック歩行の男性「骨折してから無理かと思ってたウォークを楽しませてもらった。」

二人連れの女性「楽しく歩けて、お土産のミカンまで頂いて有難う。」「重要文化財の中家でお弁当食べられたのは、良い思い出になるわ。」

王寺から来られた中国の女性「焼香の意味も分かって良かった」「座禅も参加してみたい。」「ご住職からお菓子まで頂いて、ありがとうございました。」

お一人参加の男性「他所のウォークは、ひたすら歩くだけ。ここはガイドの説明もあり、のんびり楽しめた。」

杵築神社からの田園風景の中「何も無いけどこんな景色が見れるんですよ!」とスマホにあった安堵の夕焼け写真をお見せすると 「わぁ!いいなぁ、これは何よりの景色だ。」「本当に綺麗だなぁ。」

私たちも、皆さんとご一緒できて良い思い出を沢山作れました。またの機会に安堵へお出で頂けたらと願っております。気が付かなかった「猿猴杉」など調べて学ぶきっかけを作って下さり、ありがとうございました。

今年もあと20日で除夜の鐘。どうか佳い新年をお迎えくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。

              安堵ボランティアの会一同

 

・・・来年のお知らせ・・・ 

令和5年4月9日(「斑鳩から安堵へ名残の桜を愛でる(善照寺の花まつりに参加)

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2022年11月 2日 (水)

陶芸家 富本憲吉憧れのうぶすなを訪ねる

 

ガイドと歩く・なら  &  JR ふれあいハイキング

 陶芸家 富本憲吉憧れのうぶすなを訪ねる」

実施日時 令和4年10月23日() JR法隆寺駅改札前にて受付 9時半順次出発~14時半順次解散

参加人数  参加者 34名 + 観光ボランティア 15名   合計49

 

事前予約受付の内、体調不良など諸事情のためキャンセル連絡も有ったものの情報を知る人の当日参加もあり好天の中、5班に分かれて出発。

まずは駅近くの天理軽便鉄道駅遺跡から。(写真・草の下側に見えるレンガ部分)

Sdscf4490

 

斑鳩町との境に建つ富本憲吉生誕の地の道標

Sdscf4493 

 

安堵町の地図板

「小さい町!人口は?」「奈良県で2番目に小さい町です。人口は7000人強。」

Sdscf4495

 

飽波神社  鳥居の扁額「安久波社」は富本憲吉揮毫

Sdscf4498

折よく10月第4日曜日は秋祭り 例年なら昨日の宵宮では奈良県民俗有形文化財に指定されている「なもで踊り」が奉納されるのですが、近年のコロナ禍で今年も実施されませんでした。

素朴ではありますが拝殿の飾りつけが代々受かつがれた民の信仰の証です。拝殿右側に架かるのが「なもで踊り図絵馬」正面の「日月長」(じつげつながし)憲吉氏の筆になるものです。

Sdscf4499

 

高塚 聖徳太子が愛した鷹を埋葬したと伝えられている円墳。以前は栴檀の大木があり、憲吉の景陶板に描写した原風景があった場所。

Sdscf4503

景陶板 「老樹」  1924年

Line_p20221030_12185193

 

紫雲山 極楽寺   「広島大仏」

原爆投下後に広島に在りパレードをしたこの仏像。縁あって安堵の地にお住まいですが、過日広島を訪問、あちらでパレードが催され、やっとお帰りになったところです。本堂に安置されている重要文化財の阿弥陀如来像と共に有名です。

Sdscf4507

 

うぶすなの郷  富本憲吉 生家

以前は富本憲吉記念館としてありましたが、持ち主亡き後、現在は古民家ホテル・レストランとして営業されています。庭や母屋など外観は当時の面影が偲ばれます。

Sdscf4509

 

安堵町庁舎  ギャラリー

休日にも関わらず見学させて頂きました。写真には写っていませんが町長がガイドのサプライズ!「有難うございました。」

Sdscf4511

こちらは壁面にある展示 右上の額には憲吉氏の作陶写真

Ssdscf4512

 

安堵町歴史民俗資料館 (旧 今村邸)

奈良県独立・再設置の父今村勤三の旧邸が子孫により町に寄贈され、現在の資料館として一般開放されている。その子今村荒男は日本初のBCG人体接種を行った医学博士。阪大総長をつとめ文化功労者となり、親友富本憲吉陶芸家として人間国宝となり、同じ時代に小さな安堵で三人も偉大な人が生まれ育ったということに驚く。

写真右側の格子丸窓は天誅組伴林光平の逸話が残る歴史を感じる佇まいの表門

Sdscf4515

庭には「秋明菊(しゅうめいぎく)が満開  「ピンクは珍しいね」

Sdscf4517

展示室で天理軽便鉄道に思いを馳せる

Sdscf4519

安堵町の木「ていかかずら」写真下にある2本のさや豆みたいなのが2個一対でなる実で、これが弾けて中の実が風で飛び、発芽するそうです。5月頃に咲くジャスミンのような良い香りのする小さな白い花が憲吉の作品の連続文様「四弁花」のモデルです。(実際は五弁の花びら)

「定家葛」とも書き、鎌倉時代の歌人藤原定家」が愛した「式子(しょくし)内親王」との物語がテーマの謡曲「定家」が名前の由来となっている。

Sdscf4522

 

岡崎風景-1 「竹林月夜」

作品にある3つの倉と竹藪(今は民家の家並があり後方には大きな建物が建築中で当時の面影はをわずかに偲ぶばかり。)

Sdscf4527

色絵竹林月夜模様陶板  1950年

Line_p20221030_12182909

岡崎風景―2  「柳」

色絵金彩柳模様大飾皿    1959年

布留街道沿い近くに在った「角安」と言う店の前に植えられたの幹が曲がっている姿に面白さを見出し作品にした。

Sline_p20221030_12184250

岡崎風景ー3   「曲がる道」

角安の柳から更に東、岡崎川を越えたところ。現在は真っ直ぐに走る布留街道ですが、当時は右に左にと直角に曲がっていました。写真の左下と右下のコンクリート壁のような物の角度が違うのが少し分かって頂けますか?写真を撮るは難しいです。因みにこの場所は作品のモデルになった曲がる道からは少し歩いた場所にある野上(野神)と言う地にある墳丘で小さな祠があります。別名「牛回り」とも呼ばれ、牛馬の農耕時代には牛のお尻を追いながら道を曲がって通ったとのエピソードがあります。

Sdscf4528

土焼 鉄描彩曲る道模様 大皿  1929年

Sline_p20221030_12183566

 

・・・あちこち作品の原風景を訪ねて歩きました。東窪田自治会館で昼食です。お腹が空いてきましたね。・・・

休憩タイムに安堵「ねこじゃらし」の皆さんが 紙芝居「ゆめゆめ 開けるべからず」を熱演。これから訪ねる中家に伝わる天正の梅干のおはなし。

Sdscf4532

 

国の重要文化財 「中家住宅」 二重の環濠に囲まれた屋敷

Sdscf4537

大和棟の特徴が美しい母屋  「あの白い高い棒は何?」「エッ。避雷針なの!」

Sdscf4541

「天正の梅干」(約430年前)と、その後(約250年前)に漬けられた梅干を見せて下さる中家の奥様。紙芝居を思い出しながら「開けるべからずだったんだ」と興味深く、それにも増しても太い梁や柱の光沢にも歴史を感じました。

Sdscf4544

 

「馬場尻橋(中窪田と南吐田に架かる橋)憲吉が釣りを楽しんでいた頃は大和川河川改修前の100m程下流(旧川筋)に架かっていた木製の橋。  

憲吉が安堵で作陶を行っていた時代。大和川や近くの小川で休養として釣りを楽しんでいた。ある日のこと急に雨が激しく降り出し、彼は崖のような所に身をかがめ、薄の葉を傘にして景色を眺めていた。記憶しようにも絵筆も鉛筆も無く、マッチを吹き消し炭にして煙草の箱の裏側に略図を描きました。これが「大和川急雨」誕生の瞬間だと言われています。

色絵金彩染付「大和川急雨」模様大陶板    1959年

Sline_p20221030_12185866

 

「馬場塚」

窪田地区の水田に囲まれた塚に武田氏家臣馬場美濃守信房の供養塔として伝わる小型で不完全な五輪塔が在ります。憲吉が散乱する石碑の中から文字が刻まれた地輪を発見。馬場塚全体が町の文化財に指定されています。この地輪には信房にまつわる銘文が刻まれています。筒井一族の窪田氏と武田の馬場氏との関わりが想像されます。(大きな樹の下)

Sdscf4546

 

安堵町中央公園のオリーブの実  トイレ休憩の間に見つけました。花言葉和・知恵

Sdscf4548

 

「JR 法隆寺駅前」 流れ解散 & アンケート用紙回収

Sdscf4549

皆さまお疲れさまでした。アンケートなどを参考にまとめてみました。ご協力ありがとうございました。

「富本憲吉に興味があった」 「タイトルが面白そうだった」 「コース(訪問地)に興味があった」

「観光ボランティアと歩く・なら に興味があったから」 「以前この団体(安堵観光ボランティア)に案内してもらった」

以上が参加した理由でした。次に良かった点や耳の痛いご意見もこれからの参考に載せてみます。

「少人数のグループのガイドで説明がわかりやすかった」

「ホスピタリティーが素晴らしい。紙芝居など演出も上手く大変良かった」

「普段 入れない施設にも入れて良かった」

「憲吉の原風景が失われているのが多く残念」

「平日のプランも欲しい」「マイクがあると良い」「案山子公園が廃墟みたい」

「発着地にトイレが必要」

良かった点・・ありがとうございます。これからの励みになります。

耳の痛いご意見・・やはりありがとうございます。私たちも同じ思いでおりますが、町の立地上、どうにもならない点もあります。改善できる点は少しずつでもご希望に添えるよう皆で考えて行きます。

これに懲りず、またのご参加お待ちいたしております。寒暖差が激しい日々どうかお元気でお過ごしください。

                         安堵ボランティアの会 一同

・・・予告・・・

次回は12月4日()「安堵の里と大和川の道を歩く(曹洞宗 南陽寺)」

鬼に笑われますが来春4月9日()は「斑鳩から安堵へなごりの桜を愛でる(善照寺の花まつりに参加)」

                        

| | コメント (0)

«JRふれあいハイキング 「斑鳩から安堵の里へ 満開の桜を歩く」