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2013年4月17日 (水)

JRふれあいハイキング=太子道探訪ウォーク

 桜のち晴れ。
恒例の春の安堵町観光ボランティア主催のJRハイクは、「太子道探訪ウォーク」。4月14日の日曜日、満開の菜の花の太子道を、聖徳太子の伝説を追って歩きました。

本日の参加者は約60人、最年少は4歳の男の子、歴史好きのお父さんに付き合わされて、どうでしょうね。うーん、今日のコースには「アンパンマン」も「しまじろう」も登場しなかったけど、それでも元気に、天理軽便鉄道に乗った気分で、JR法隆寺駅を、定刻10時に出発しました。
 「こんな田んぼの中の細い道を、本当に汽車が走っていたんですか?」
そうですよ。大正から昭和10年代のまだ車が主役でなかった時代、この長閑な野辺の道を、まるで宮沢賢治の童話に出てくるような小さな汽車が、安堵を通り、郡山を通り、天理の町を目指して走っていたんです。

 

 

最初の訪問地、安堵総社の飽波神社。鳥居の額は富本憲吉氏筆の「安久波社

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極楽寺。阿弥陀如来(重文)の本堂(左)と広島大仏の大仏堂(右)

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数奇なご縁で、はるばる広島からやってこられた広島大仏。安堵に永住されるそうです

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今日のコースは、飽波神社極楽寺のある東安堵の静かな集落を巡った後、中世の武家造りと農家造りの様子が窺える窪田の中邸を訪ね、板屋ケ瀬橋で大和川を越えて、観世流発祥の地・川西町の面塚から、三宅町の太子道を黒田まで、希望者には安堵町の歴史民族資料館と中邸の邸内を案内しました。

一番の人気は、中さんのお宅で展示されていた「天正時代の梅干し」。
織田信長が安土城を築城した年に漬けられたとかで、説明パネルによるとそれは、コペルニクスが地動説を発表する33年後のことで、うなぎの蒲焼きが「出現」する16年後のことだとか。ウーン、やっぱり「食い合わせ」はこのころからあったのでしょうか。
ところでこの梅干し、430年も経てば不老長寿の薬効があるとか…、まあそうですね、始皇帝ならともかく、我々凡人は食中毒で早死にしそうですから、やめとくほうが無難でしょう。

 

どういう縁か、安堵の窪田にある武田の重臣・馬場美濃守の供養塔。

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中邸で、「天正時代に漬けられた梅干し」を見るお客さん。試食はご遠慮しています。

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生駒の山でタケノコを探しているハイカーのようですが、中邸の敷地内の竹薮です。

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願掛けの日に油を掛けて拝むと功徳があるといわれる、川西の油掛け地蔵

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三宅町の太子道のヨノミの木のところで、僕たちは一人のお婆さんに出逢いました。
お婆さんは僕に、今日はどこから来たんですか、と訊ねました。
「今日はJRのふれあいハイクで、僕たちは川の向こうの安堵町から歩いて来たんですよ」と、僕が答えると
「そうですか。私も川の向こうから来たんですよ」
僕は不思議に思いました。お婆さんはどうみても地元の人のようで、僕たちのような歴史ハイクの人には見えない。
「それは随分と昔のことですけどね。その頃は大和川の御幸ケ瀬浜や板屋ケ瀬浜は大坂に運ぶ荷物を積んだヤナ船で賑わって、安堵の町にも天理軽便鉄道の駅があって、私のお婆さんは、い草から燈明や蝋燭の芯に使う灯芯を引き出す、灯芯引きをしていたんですよ」

寺川堤の菜の花の道を歩む参加者。

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大和猿楽4座の一つ、観世流の発生の逸話を伝える川西町の「面塚」

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黒駒に乗る聖徳太子と、従者の舎人調子丸。白山神社で最近作られた出来立てのもの。

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三宅町の太子道添いの、ヨノミの大木の根に巻かれたお地蔵さん。

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聖徳太子が斑鳩宮を造営して、斑鳩に遷るのは605年。推古天皇が明日香の小懇田宮(おはりだのみや)に居られた時で、おそらくその時は大王の都の明日香と、大和の玄関口斑鳩を繋ぐ道、「太子道」はすでにあったと考えていいでしょう。
古代の道は、今日見たようなのどかな風景からは想像も出来ないような広さで、太子はこの太子道の先に壮大な仏教都市を建設しようとしたと想像してみるのもどうでしょう。
もちろん中心は今の法隆寺のあたりですが、今日歩いた安堵総社・飽波神社の場所にあったといわれる「飽波葦墻宮(あくなみあしがきのみや)」も、壮麗な宮の姿を見せていたことは間違いありません。

この飽波宮は聖徳太子が亡くなられた場所といわれます。そして、そこには一人の女性が住んでいたと伝えられます。
太子のお妃の一人、膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)という女性です。彼女は太子と同じ病気で、太子より1日早く太子に看取られて亡くなりました。そして河内の磯長(しなが)の太子廟に、太子と一緒に合葬されたのです。

でも、これは不思議なことです。なぜなら、他のお妃が飛鳥の大王家や、時の権力者蘇我氏の血縁であるのに、彼女だけは王族でも蘇我氏でもなく、しかもこの斑鳩・安堵に居たこの土地の豪族の娘なのです。
太子のお妃とはいえ、そのような身分の低い女性が、王族の大子と一緒のお墓に葬られるということはあるでしょうか。
太子道は、聖徳太子の伝説や伝承に彩られた道です。おそらくこれらの伝承は太子が亡くなって何百年も経った頃に作られたものです。その頃はこの土地の人々にとって、太子は神になっていたのです。
もしかしたら、この太子とお妃の物語や太子道に眠る伝承は、その人々によって作られたと考えられないでしょうか。
なぜなら彼女こそは、この土地で生まれた女性であり、飽波神社のある場所に居た女性であり、聖徳太子に一番愛されたといわれる女性といわれるからです。

 
 
 

JR法隆寺駅――天理軽便鉄道跡――飽波神社――歴史民俗資料館――極楽寺――中央公園(昼食)――中家住宅――油掛地蔵尊――面塚――屏風杵築神社――白山神社――忍性菩薩ご誕生の地石碑――ヨノミの木――伴堂杵築神社――万葉歌碑――近鉄黒田駅経由――JR王寺駅

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コメント

聖徳太子をしのびながら、太子道を歩くのはいろいろな想像が掻き立てられる古代のロマンですね。
太子のように馬に乗ってこの道を歩いてみたいですね。
菜の花の咲く道も良かったです。桜が散ってしまっていたのは残念でした。菜の花と桜は咲くタイミングがちょっとちがうのでしょうね。

投稿: カトキチ | 2013年4月17日 (水) 20時53分

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