JRハイク2013年12月 業平道を行く
12月恒例の安堵観光BGのJRハイクは、紅葉の竜田川から晩秋の斑鳩・安堵の野辺を歩く旅、この日は澄み渡った青空の元、約百人の参加者の方が集まりました。
この道はまた遠い昔に伝説の貴公子が竜田山を越えて河内の恋人の元に通ったといわれるロマンの道、そしてこの季節の風景といにしえの時間の風景を思い出させてくれる大切な道でもあるのです。
JR王寺駅(集合) - 神岳神社 ― 三室山 ― 竜田川・御幣岩 ― 龍田城跡 ― 業平道・業平橋 ― 藤ノ木古墳 ― 斑鳩文化財センター - 法隆寺iセンター(昼食場所) ― 業平姿見の井戸 - 駒塚古墳 - 調子丸古墳 - 天満神社・高安 - 善生寺 - 広峰神社 - JR大和小泉駅(解散)
三室山と竜田川
ちはやぶる 神代もきかず 立田川 から紅に 水くくるとは 在原業平
竜田川は古今集や拾遺集の歌人が詠った紅葉の名所、龍田川の水面を覆って、から紅に染め上げられた衣は、秋の女神・龍田姫への贈り物。だから紅く染まった紅葉の葉の一枚一枚に神が居て、竜田の山には数え切れないほどの神が居て、神は自然の姿そのものだと古代の人は知っていたのでしょう。
朝の王寺駅、駅前の商業施設を繋ぐ陸橋上に集まった参加者の皆さん。晩秋のターミナルは行楽に行く人、来る人で賑わっていました。
三室山の神岳神社は聖徳太子が飛鳥のうぶすな神を勧請したといわれる場所、三室の山は、今も斑鳩の神が棲むといわれる神奈備の山。
三室山でガイドの話を聞くみなさん。
竜田川沿いの公園。ここは県立公園です。
竜田川の紅葉橋。この日は降水確率0だったはずですが、どうして傘をさされているのでしょう。
ところで最初の業平さんの歌ですが、実はこの歌が詠まれた平安時代の紅葉の名所は、大和川の奈良と大坂の境の亀の瀬渓谷のあたりで、しかも江戸時代の中ごろまでは竜田川には紅葉は無かったといわれています。
では、どうして竜田川が紅葉の名所になったのか。それは、法隆寺や竜田川が観光名所として賑わうようになったころ、竜田の町の人々が業平の歌の風景を造るために、ここに紅葉を植えたとしたら……、そうなんです、今見ている風景が、遠い昔に誰かが何かの事情で作り出したものだとしたら、そんな歴史の風景を覗いてみるのも歴史ハイクの楽しみではないでしょうか。
斑鳩から安堵へ
「業平道(なりひらみち)」は、天理市の櫟本から、大和郡山、安堵町を通り、斑鳩から平群の十三峠を越えて八尾の高安の玉祖神社に至る古道で、この道はまた平安時代の歌人・在原業平が、天理から河内の高安の恋人・河内姫のもとに通った道といわれ、業平の伝説が数多く残るロマンの道ともいわれます。
その業平の伝説の一つにこんなお話しがあります。
『業平が十三峠を越えて八尾の玉祖神社に参詣したおり、高安の神立茶屋の辻にあった茶屋「福家」の梅野に一目惚れ、業平は何と八百夜も通いつめたといわれ、玉祖神社には業平が娘を呼び出すために吹いた笛が伝えられているとか………』
これは、八尾の高安に残っているお話ですが、どうでしょう。このお話しの雰囲気はどう考えても江戸時代、もしかしたら高安の神立に実際に「福家」というお茶屋があって、そこの主人が造ったお話だとしたらーー、業平道は鉄道のない時代の奈良と大坂を結ぶ幹線道路、そこに残っている業平さんのお話は、いろいろな時代の庶民によって作られたのでしょう。
このかぐや姫に出会いそうな竹やぶの道は、斑鳩町指定の観光コース、「藤の木・業平つれづれの道」。竹の清清しさは季節を選ばないものでしょう。
このあぜ道は、上の竹やぶを出たところ。実は竹やぶの中に斑鳩町建立の真新しい案内石柱で、確かにこの道に導かれるのですが、暗い竹やぶに不つりあいの建造物は、もしかしたら狐か狸の仕業ではないかと迷ってしまうのですが……、うーん、どうでしょう。
晩秋の斑鳩の野辺。古代の旅人が見た竜田山はこのあたりの山なのでしょうか。
藤の木古墳。羨道入口の扉に小さな窓があって、のぞきカラクリを覗くように古代の貴人の廟所が覗けるのです。
斑鳩を抜けて辿り着いた安堵町の善照寺。ここから業平道は東へ安堵町、大和郡山から天理へと続くのです。
善照寺境内の樹齢250年の「富生の松」。この松は根上がりの松として有名で、日本ミツバチが共生していることでも有名です。
参加者を見送ったあとのガイドの面々、何はともあれお疲れ………。
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