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2014年2月19日 (水)

安堵町の太子道から廣瀬神社へ 2014

恒例の、建国記念の日の安堵町のJRハイク「太子道から砂かけ祭り」、今年は奈良県主催の「記紀・万葉ウォーク」のシリーズとあって、例年の3倍以上の357名の方が、待ち侘びた春を捜しに来られました。
この日は昼食場所での民謡グループのアトラクション、ベテランガイドの体験的安堵町紹介、さらには西本町長も参加され、先週末の大雪もこの日は一段落、観光安堵町をアピールする日になったようです。
このリレーウォークは、去年の12月の平群町から安堵町、田原本町、三宅町、王寺町、斑鳩町と、聖徳太子ゆかりの6町を結んで太子の足跡をたどるシリーズで、最後の斑鳩町が3月21日、それは大和の春をたどる旅でもあるのです。

JR法隆寺駅(集合)~ 天理軽便鉄道跡 ~成福寺跡 ~ 上宮遺跡公園 ~ 駒塚・調子丸古墳 ~善照寺 ~ 広峰神社 ~ 太子道 ~ 飽波神社 ~歴史民俗資料館 ~ 極楽寺 ~ 大道教会本部(昼食)~ 高塚 ~ 廣瀬神社 ~ 法隆寺駅(解散)


斑鳩の道

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出発地のJR法隆寺駅、後ろは大阪駅まで40分の大和路快速、このガイドさんは、終戦の年の今日(2月11日)で廃線となった天理軽便鉄道のことを話しているのでしょうか。

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斑鳩の冬景色を歩く。後ろは二上山から続く葛城の連山。3日前の大雪で葛城山の峰近くは雪山に替わっていました。

 

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集合地の上宮遺跡公園に集まった357人の参加者の皆さん。

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資料の地図でコースを確認。


安堵町の太子道

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斑鳩から安堵に入って最初に出会う浄土真宗の善照寺、それは西から大和の国に入られた阿弥陀仏の最初の庵であったのかもしれません。

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太子道の広峰神社に入る人たち。ここは遠い昔に、聖徳太子が晩年に妃の菩岐岐美郎女(ホホキミノイラツメ)とともに過ごされ、亡くなられた飽波葦垣宮のあったところ、そしてそのように信じてきた安堵の人たちに大切に守られてきたところです。

 

ところでこの広峰神社、大河ドラマの「黒田官兵衛」で出てきましたが、あれは姫路の広峰神社、もちろんあちらが本社でこちらは末社、あちらは全国牛頭天王社の総本社なんです。
ドラマの中で御師(おし)と呼ばれる神人が牛頭天王の「お札」を売り歩いて、ついでに黒田家秘伝の目薬を売って黒田家が潤ったと言ってましたが、その頃の旅をする人々の中に彼らはいたんでしょう。
安堵は河内や京からの道が、大和の国中へ向かういわば入り口にあたる所で、広峰神社は業平道と太子道の分岐点。ここを拠点にした御師たちが大和の国中の人々に黒田の目薬を売り歩いて、それで官兵衛が出世したとしたら、安堵町も大河ゆかりの地として有名に……、というようなことは今のところないようです。

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安堵の町の太子道。

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飽波神社、鳥居の額の「安久波社」は「あくなみ」に好字を当てたもので、安堵出身の陶芸家・富本憲吉が寄進したものです。


安堵町中の道

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安堵の名産であった藺草の灯心引きの展示を見る人々。安堵の町は「灯りの町」、安らかな灯りは、今でも東大寺などの寺院の、燈明の灯りとして使われています。

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極楽寺の本堂の前、久方ぶりに、冬空の中から暖かい日差しがのぞきました。

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大道教本部での昼食風景。ベテランガイドの体験的安堵町紹介を聞く皆さん。

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参加者の女性と語る西本安堵町長。この日は観光安堵町をアピールするため、町長も挨拶されたのです。.


廣瀬神社への道

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古い集落の背後の工場、安堵の町は奈良県中央部の交通の要所としての顔ももっているのです。

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廣瀬神社へ、背後は三輪山から多武峰の山並み。

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拝殿前の広場での砂かけの光景。この日は昼食を半時間で切り上げたお陰で砂かけの前の神事、諏訪太鼓の奉納も見ることが出来ました。

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砂かけ祭りは豊作祈願の雨乞いの儀式で、写真の白装束の牛役とハッピ姿の田人が雨に見立てた砂を掛け合って、その砂を浴びれば無病息災のご利益があるというわけですが、最近の廣瀬神社は大変な人出で、牛役は一人でも多くの参詣者にご利益を与えるために、この日も一人で砂を掛けまくって頑張ってくれたのです。


最後に、大道教会のアトラクションの民謡で披露された、飽波神社に伝わる「なもで踊り」の歌を紹介しておきましょう。

なもで踊り」は奈良の各地に残っている雨乞いの太鼓踊りで、戦国の頃に流行った念仏踊りがその起源といわれています。
ところでこの歌詞、今の流行歌と変わらない雰囲気で笑ってしまいますが、これは江戸時代から伝わる古い歌だとか、安堵の町の誰かが作ったのでしょうか。歌詞の中にその頃の観光地であったところが沢山出てきますが、その頃は一般の庶民も旅を楽しむようになっていたのでしょう。
年に一度の祭りで歌われたこの歌には、今の私たちと変わらない軽薄で呑気で日々の暮らしを楽しむ庶民の姿が見えるようですが、どうでしょう。

 目出度さは 一本榎の 目出度さは 
 本は黒がね 中こがね 
 枝は白金 枝は白金 
 末には 銭が生るとも

 和歌の浦 和歌の浦には 名所あり 
 一、二権現 玉津島 三に下がり松 四に塩釜 
 おもしろやの おもしろやの 
 片男の波こそ 名所なり

 (中略 鬼の舞い

 ありがたや 
 安堵の明神 ありがたや 
 雨は振らしゃる 雨は振らしゃる 
 立願の踊りは ひと踊り

 参りつつ 愛宕のお山へ参りつつ 
 西を遥かに 眺むれば 
 丹波国の   大江山 名所雪の降る所 
 いざや友達 行き合うとうを 行き合うとうを

 (以下省略)

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