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2014年4月18日 (金)

JRハイク2014年4月 歴史の町安堵を楽しむ

庚申さんで知られる大和小泉から春満開の安堵町へ。今回のJRハイクのテーマは「歴史の町安堵を楽しむ」。桜と、菜の花と、遠い昔の物語を追って、集まっていただいた皆さんと歴史の町のとウォーキングを楽しみました。本日の参加者47名、中には山陰の出雲から来られた御夫婦も、天候は少し厚めの花曇りといったところでしょうか。

JR大和小泉駅 ~ 安養寺 ~ 庚申堂 ~ 小泉城址 ~小泉神社 ~業平道 ~総合センターひびき(昼食)~善照寺 ~ 広峰神社 ~ 安堵町歴史民俗資料館  ~極楽寺 ~飽波神社 ~ JR法隆寺駅     (歩程/約10km)

 


大和郡山の小泉町

人間の身体の中には3尸(し)の虫が居て、60日毎の庚申の日には人が眠っている間に天に昇り、帝釈天に悪行を伝えてその人の命を縮めてしまう、だからその日は眠らないで夜通し酒を酌み交わしたとか……。小泉町は庚申さんの町、かつては庚申の日には近在から詰めかけた人々が道に溢れて、今からは想像も出来ない賑わいだったといわれます。最近その庚申の日に行なわれていた護摩供養が小泉町の有志の人々によって復活され、60日毎に行なわれています。もちろんその前の日の夜はこの町の人々は眠らないで、虫が出て行かないように見張っていなければいけないのです。

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大和小泉の「一国一宇庚申堂」。ここは片桐氏の城下町であったころ、奈良から法隆寺を通って天王寺に向かう奈良街道の街道筋で賑わったところです。

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小泉の町は庚申さんの門前町、街道筋の家々には庚申さんのシンボル「身代わり猿」が吊られています。この猿は人々を苦しめる災いを全部背負って身代わりになっているとか、ぬいぐるみだと思って粗末にしてはいけません。

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江戸時代に片桐氏1万5千石の居城であった小泉城址。外掘、内堀に取り巻かれ城郭としての構えていたというガイドさんの話に、当時の面影を連想するお客さんたち。

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江戸時代に小泉城の外掘りだった薙刀(なぎなた)池。城の櫓のような建物は石州流茶道宗家の本部。今でも小泉藩主であった片桐氏の末裔の方のお住いです。

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小泉神社の裏手。ハガキの木といわれる「多羅葉(たらよう)の木」に何か書いています。

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小泉神社の山門は、小泉城の城門を明治の初めの廃城時に移築したもの。


安堵町へ

聖徳太子と飽波の宮、広峰神社と黒田勘兵衛、善照寺と蓮如上人、業平道と河内姫、勤三ざくらと灯心引き、極楽寺と広島大仏、太子道と腰掛石、御幸ケ瀬と板屋ケ瀬、剣先船と魚梁船(やなふね) -- そう、安堵の歴史の風景は楽しんでいただけでしょうか。

今日入った歴史資料館の特別展示のテーマは、「大和川水運と安堵の町」。江戸時代、大坂から塩や肥料や雑貨などの荷が川船で運ばれてきて、安堵の御幸ケ瀬浜や板屋ケ瀬浜は賑わっていました。大坂へは大和の米や農作物が大和川を下り、大和と河内の境の亀の背で剣先船に積み替えられて、ゆったりとした流れを西に向かって、夕日に向かって運ばれて行きました。そう沢山のカモメたちとこんな歌に迎えれて

-- ここはどこ ここは天王寺 住吉のどなかに 帆かけ船 -- 

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安堵町への道。

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満開の勤三桜。この見事なしだれ桜を見るために資料館に入る人も居るのです。

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ここはどこ、ここは安堵の極楽寺さん。「安産祈願」のお札を貰うと、この子のようなかわいい子供さんが授かるのです。

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小さな旅の終りは天理軽便鉄道で。斑鳩と安堵の境の木戸池には、軽便鉄道の遺構が今も残されています。

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