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2018年7月20日 (金)

研修講座 4回目

安堵観光ボランテイア研修講座 4回目

タイトル「明治維新から150年 
            ~奈良にもいろいろありました~」

講師  奈良まほろばソムリエの会 会員 西川 誠 氏(安堵観光ボランティア会員)
 
平成30年7月8日(日)      於:トーク安堵カルチャーセンター 研修室



1868年徳川幕府が崩壊し明治政府が樹立した明治維新から今年で150年。

政権、政治のみならず、国の在り方や庶民の生き方をも変えるような大胆な出

来事が沢山あった時代の流れのなか、大和=奈良県を中心に周りのことも見な

がら、ちょっと振り返ってみましょう。


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1・なぜ徳川幕府は崩壊したのか~維新に至る原因。

江戸時代3大飢饉・黒船・安政の大獄

天誅組の変・安堵に所縁の天誅組の伴林光平が囚われの身で獄中で書き上

げた「南山踏雲録」の話。また、逃げのびた青木精一郎(三枝蓊)が鳥取の湯

梨浜に潜伏した5年間の足跡をたどってのお話は興味深いものでした。

慶應3年に東海地方から始まった、おかげまいり・「ええじゃないか」は大和にも

広がり、伊勢神宮の御札が同年11月23日には安堵笠目の吉田家にも降った

そうです。


2・新政府への期待(裏切り)

庶民は生活が楽になるのではと新政府に期待し「御一新」と喜んだが、鳥羽伏

見の戦いから戊辰戦争、さらに函館五稜郭の戦が繰り広げられる中で、大和で

は生駒の辻村で起きた矢野騒動の「傘形連判状」は首謀者を特定しにくい円形

(傘を広げたような)に、なっている。


3・ドタバタ新政府

神仏分離廃仏希釈  社寺王国と言われる奈良では特に大きな被害や多くの

混乱が有ったそうです。

廃藩置県・・・めまぐるしく変わる新政府の考え  

「大和鎮台」→「大和国鎮撫総督府」→「奈良県」→「奈良府」→「奈良県」→

明治9年
「堺県」に。再設置を望む(吉野の山林王土倉庄三郎・・・俗に政財界

人の吉野詣でと言われるほどの力が有った)が、まとまり無く経過。

明治14年 「堺県」が「大阪府」に統合。再設置運動の声が再び拡大。


今村勤三・・・再設置の父と呼ばれているだけでなく経済人としても抜きんでた

才能を発揮した凄い人物)
 

明治16年  再設置の建白書提出するも、却下され運動は下火に。

明治18年7月  台風被害甚大なるも大阪府の他所への対応ばかりで奈良

は手つかず。危機感を切実に持っての再設置運動が再燃。


明治20年 伊藤博文内閣より再設置の内諾あり。可決、裁可される。

新生奈良県の知事・・・税所 篤 (さいしょ あつし)は鹿児島出身の元老院

議官。奈良県の発展のため私財をも投じて尽力。後に、霧島神宮 宮司となる。




以上が講座の要点でした。印象に残った西川氏のことばをご紹介します。

「歴史的なことを調べてみると、一見無関係な人物・事柄・場所
などが、

どこかで繋がっていることに気づき、なお一層面白さを感じます。」


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大変分かりやすく、興味深い楽しい講座でした。学生時代から、

四角四面な講義よりも、雑学を入れながらの授業の方が大好きでした(笑)
 

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