研修講座 4回目
安堵観光ボランテイア研修講座 4回目
タイトル「明治維新から150年
~奈良にもいろいろありました~」
講師 奈良まほろばソムリエの会 会員 西川 誠 氏(安堵観光ボランティア会員)
平成30年7月8日(日) 於:トーク安堵カルチャーセンター 研修室
1868年徳川幕府が崩壊し明治政府が樹立した明治維新から今年で150年。
政権、政治のみならず、国の在り方や庶民の生き方をも変えるような大胆な出
来事が沢山あった時代の流れのなか、大和=奈良県を中心に周りのことも見な
がら、ちょっと振り返ってみましょう。
1・なぜ徳川幕府は崩壊したのか~維新に至る原因。
江戸時代3大飢饉・黒船・安政の大獄
天誅組の変・安堵に所縁の天誅組の伴林光平が囚われの身で獄中で書き上
げた「南山踏雲録」の話。また、逃げのびた青木精一郎(三枝蓊)が鳥取の湯
梨浜に潜伏した5年間の足跡をたどってのお話は興味深いものでした。
慶應3年に東海地方から始まった、おかげまいり・「ええじゃないか」は大和にも
広がり、伊勢神宮の御札が同年11月23日には安堵笠目の吉田家にも降った
そうです。
2・新政府への期待(裏切り)
庶民は生活が楽になるのではと新政府に期待し「御一新」と喜んだが、鳥羽伏
見の戦いから戊辰戦争、さらに函館五稜郭の戦が繰り広げられる中で、大和で
は生駒の辻村で起きた矢野騒動の「傘形連判状」は首謀者を特定しにくい円形
(傘を広げたような)に、なっている。
3・ドタバタ新政府
神仏分離と廃仏希釈 社寺王国と言われる奈良では特に大きな被害や多くの
混乱が有ったそうです。
廃藩置県・・・めまぐるしく変わる新政府の考え
*「大和鎮台」→「大和国鎮撫総督府」→「奈良県」→「奈良府」→「奈良県」→
明治9年「堺県」に。再設置を望む(吉野の山林王土倉庄三郎・・・俗に政財界
人の吉野詣でと言われるほどの力が有った)が、まとまり無く経過。
*明治14年 「堺県」が「大阪府」に統合。再設置運動の声が再び拡大。
(今村勤三・・・再設置の父と呼ばれているだけでなく経済人としても抜きんでた
才能を発揮した凄い人物)
*明治16年 再設置の建白書提出するも、却下され運動は下火に。
*明治18年7月 台風被害甚大なるも大阪府の他所への対応ばかりで奈良
は手つかず。危機感を切実に持っての再設置運動が再燃。
*明治20年 伊藤博文内閣より再設置の内諾あり。可決、裁可される。
*新生奈良県の知事・・・税所 篤 (さいしょ あつし)は鹿児島出身の元老院
議官。奈良県の発展のため私財をも投じて尽力。後に、霧島神宮 宮司となる。
以上が講座の要点でした。印象に残った西川氏のことばをご紹介します。
「歴史的なことを調べてみると、一見無関係な人物・事柄・場所などが、
どこかで繋がっていることに気づき、なお一層面白さを感じます。」
大変分かりやすく、興味深い楽しい講座でした。学生時代から、
四角四面な講義よりも、雑学を入れながらの授業の方が大好きでした(笑)
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