町民の安堵町再発見
第一回
「町民の安堵町再発見」 西安堵・笠目編
令和元年6月16日(日)9:30~11:30 集合場所 カルチャーセンター前
知っているようで知らない自分が住んでいる町のこと。令和の新企画として、町民のみなさん向けの半日の町内ウォークをすることになりました。参加者は何人?とドキドキしながら出発までスタンバイ。
曇り空ですが、少し肌寒い(?)くらいの天候でウォーキングには絶好の朝。一人、二人と集合。スタッフ含めて19名。こどもさんもご一緒の参加でほっこりした雰囲気のスタートです。
安堵駐在所前の交差点
天理軽便鉄道(新法隆寺駅~天理駅) 大和安堵駅の在った場所
大正5年の蒸気機関車のころには現在の安堵駐在所の裏側にありました。往路、天理へは天理教へお参りする人が乗りますが、お参りの後は殆どが奈良へ見物に回ったそうで、復路の汽車では当時、安堵で盛んにつくられた梨が運ばれたそうです。新法隆寺駅前には大きな青果問屋がありました。その梨畑も戦時下で稲作の田になりました。
「うちのお祖母ちゃんは『梨』のことを『有り』って言ってたよ.」と参加者からの声。「梨」は「無し」と同じ音だから、反対の意味の「有りの実」と言い換えた。と物の本には書いてありました。
その後、昭和にガソリンカーに変わったころには、駐在所東側(写真左の白い建物のある場所)に移転しました。東へ延びる道路は軽便鉄道跡です。
故・辻本忠夫氏のスケッチ画の写真 大正3年の軽便鉄道の工事風景
東安堵 橋本の布留街道 にある石の道標
飽波神社から西へ進んだ小さな交差点にあります。半分は埋まって( )の文字は今では見えません。「右ほり(うし)」「左すてん(しょう)」右へ行くと安富橋から並松を通り法隆寺へ!左へ行くと明治22年に開通した大阪鉄道(現在のJR大和路線)法隆寺駅へ! ステーション=すてんしょう 面白いですね。
金剛・葛城・二上山を遠望 軽便鉄道からも、この山々は見えたでしょう。
木戸池の軽便鉄道遺構の説明板 池の中央には「築堤の鉄橋跡」が。
江戸時代(徳川秀忠の頃)に富雄川右岸が決壊した地点
現在の正栄製作所の建物付近だったそうです。信じられませんね!
法隆寺駅近くの田の中の遺構(レンガ)
親子連れが水路でメダカを獲っていました。のんびり気分でウォーキング👣
厳島神社
安芸の厳島神社の末社で、阿波新家や笠目新家の人々の信仰を集めています。この辺りは斑鳩町阿波と安堵町笠目が入り組んで、同じ家でも半分は斑鳩・半分は笠目と言うお宅もあるとか。これは地元から参加された方からの「へぇ~!」なお話でした。
新家とは・・・江戸時代の富雄川決壊による大洪水の時に大量の土砂で埋まった田畑の上に阿波・笠目にまたがる阿波新家村と笠目新家村が作られたそうです。
大福寺 笠目にある大念仏宗寺院。江戸時代(1672年)に真言宗から転宗。
大福寺 「地蔵菩薩立像」 重要文化財
現在は奈良国立博物館に寄託されています。素敵なお顔をされていますね。
ご参加の皆様と一緒にガイドも勉強させて頂きました。まさに「再発見」でした!
次回の町内ウォークは9月15日(日)東安堵編を企画しております。是非、多数ご参加ください。詳しくは広報「安堵」にてお知らせいたします。有難うございました。
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