陶芸家 富本憲吉憧れのうぶすなを訪ねる
ガイドと歩く・なら & JR ふれあいハイキング
「陶芸家 富本憲吉憧れのうぶすなを訪ねる」
実施日時 令和4年10月23日(日) JR法隆寺駅改札前にて受付 9時半順次出発~14時半順次解散
参加人数 参加者 34名 + 観光ボランティア 15名 合計49名
事前予約受付の内、体調不良など諸事情のためキャンセル連絡も有ったものの情報を知る人の当日参加もあり好天の中、5班に分かれて出発。
まずは駅近くの天理軽便鉄道駅遺跡から。(写真・草の下側に見えるレンガ部分)
斑鳩町との境に建つ富本憲吉生誕の地の道標
安堵町の地図板
「小さい町!人口は?」「奈良県で2番目に小さい町です。人口は7000人強。」
飽波神社 鳥居の扁額「安久波社」は富本憲吉揮毫
折よく10月第4日曜日は秋祭り 例年なら昨日の宵宮では奈良県民俗有形文化財に指定されている「なもで踊り」が奉納されるのですが、近年のコロナ禍で今年も実施されませんでした。
素朴ではありますが拝殿の飾りつけが代々受かつがれた民の信仰の証です。拝殿右側に架かるのが「なもで踊り図絵馬」正面の「日月長」(じつげつながし)憲吉氏の筆になるものです。
高塚 聖徳太子が愛した鷹を埋葬したと伝えられている円墳。以前は栴檀の大木があり、憲吉の景陶板に描写した原風景があった場所。
景陶板 「老樹」 1924年
紫雲山 極楽寺 「広島大仏」
原爆投下後に広島に在りパレードをしたこの仏像。縁あって安堵の地にお住まいですが、過日広島を訪問、あちらでパレードが催され、やっとお帰りになったところです。本堂に安置されている重要文化財の阿弥陀如来像と共に有名です。
うぶすなの郷 富本憲吉 生家
以前は富本憲吉記念館としてありましたが、持ち主亡き後、現在は古民家ホテル・レストランとして営業されています。庭や母屋など外観は当時の面影が偲ばれます。
安堵町庁舎 ギャラリー
休日にも関わらず見学させて頂きました。写真には写っていませんが町長がガイドのサプライズ!「有難うございました。」
こちらは壁面にある展示 右上の額には憲吉氏の作陶写真
安堵町歴史民俗資料館 (旧 今村邸)
奈良県独立・再設置の父今村勤三の旧邸が子孫により町に寄贈され、現在の資料館として一般開放されている。その子今村荒男は日本初のBCG人体接種を行った医学博士。阪大総長をつとめ文化功労者となり、親友富本憲吉は陶芸家として人間国宝となり、同じ時代に小さな安堵で三人も偉大な人が生まれ育ったということに驚く。
写真右側の格子丸窓は天誅組伴林光平の逸話が残る歴史を感じる佇まいの表門
庭には「秋明菊(しゅうめいぎく)」が満開 「ピンクは珍しいね」
展示室で天理軽便鉄道に思いを馳せる
安堵町の木「ていかかずら」写真下にある2本のさや豆みたいなのが2個一対でなる実で、これが弾けて中の実が風で飛び、発芽するそうです。5月頃に咲くジャスミンのような良い香りのする小さな白い花が憲吉の作品の連続文様「四弁花」のモデルです。(実際は五弁の花びら)
「定家葛」とも書き、鎌倉時代の歌人「藤原定家」が愛した「式子(しょくし)内親王」との物語がテーマの謡曲「定家」が名前の由来となっている。
岡崎風景-1 「竹林月夜」
作品にある3つの倉と竹藪(今は民家の家並があり後方には大きな建物が建築中で当時の面影はをわずかに偲ぶばかり。)
色絵竹林月夜模様陶板 1950年
岡崎風景―2 「柳」
色絵金彩柳模様大飾皿 1959年
布留街道沿い近くに在った「角安」と言う店の前に植えられた柳の幹が曲がっている姿に面白さを見出し作品にした。
岡崎風景ー3 「曲がる道」
角安の柳から更に東、岡崎川を越えたところ。現在は真っ直ぐに走る布留街道ですが、当時は右に左にと直角に曲がっていました。写真の左下と右下のコンクリート壁のような物の角度が違うのが少し分かって頂けますか?写真を撮るは難しいです。因みにこの場所は作品のモデルになった曲がる道からは少し歩いた場所にある野上(野神)と言う地にある墳丘で小さな祠があります。別名「牛回り」とも呼ばれ、牛馬の農耕時代には牛のお尻を追いながら道を曲がって通ったとのエピソードがあります。
土焼 鉄描彩曲る道模様 大皿 1929年
・・・あちこち作品の原風景を訪ねて歩きました。東窪田自治会館で昼食です。お腹が空いてきましたね。・・・
休憩タイムに安堵「ねこじゃらし」の皆さんが 紙芝居「ゆめゆめ 開けるべからず」を熱演。これから訪ねる中家に伝わる天正の梅干のおはなし。
国の重要文化財 「中家住宅」 二重の環濠に囲まれた屋敷
大和棟の特徴が美しい母屋 「あの白い高い棒は何?」「エッ。避雷針なの!」
「天正の梅干」(約430年前)と、その後(約250年前)に漬けられた梅干を見せて下さる中家の奥様。紙芝居を思い出しながら「開けるべからずだったんだ」と興味深く、それにも増しても太い梁や柱の光沢にも歴史を感じました。
「馬場尻橋(中窪田と南吐田に架かる橋)」憲吉が釣りを楽しんでいた頃は大和川河川改修前の100m程下流(旧川筋)に架かっていた木製の橋。
憲吉が安堵で作陶を行っていた時代。大和川や近くの小川で休養として釣りを楽しんでいた。ある日のこと急に雨が激しく降り出し、彼は崖のような所に身をかがめ、薄の葉を傘にして景色を眺めていた。記憶しようにも絵筆も鉛筆も無く、マッチを吹き消し炭にして煙草の箱の裏側に略図を描きました。これが「大和川急雨」誕生の瞬間だと言われています。
色絵金彩染付「大和川急雨」模様大陶板 1959年
「馬場塚」
窪田地区の水田に囲まれた塚に武田氏家臣の馬場美濃守信房の供養塔として伝わる小型で不完全な五輪塔が在ります。憲吉が散乱する石碑の中から文字が刻まれた地輪を発見。馬場塚全体が町の文化財に指定されています。この地輪には信房にまつわる銘文が刻まれています。筒井一族の窪田氏と武田の馬場氏との関わりが想像されます。(大きな樹の下)
安堵町中央公園のオリーブの実 トイレ休憩の間に見つけました。花言葉は平和・知恵
「JR 法隆寺駅前」 流れ解散 & アンケート用紙回収
皆さまお疲れさまでした。アンケートなどを参考にまとめてみました。ご協力ありがとうございました。
「富本憲吉に興味があった」 「タイトルが面白そうだった」 「コース(訪問地)に興味があった」
「観光ボランティアと歩く・なら に興味があったから」 「以前この団体(安堵観光ボランティア)に案内してもらった」
以上が参加した理由でした。次に良かった点や耳の痛いご意見もこれからの参考に載せてみます。
「少人数のグループのガイドで説明がわかりやすかった」
「ホスピタリティーが素晴らしい。紙芝居など演出も上手く大変良かった」
「普段 入れない施設にも入れて良かった」
「憲吉の原風景が失われているのが多く残念」
「平日のプランも欲しい」「マイクがあると良い」「案山子公園が廃墟みたい」
「発着地にトイレが必要」
良かった点・・ありがとうございます。これからの励みになります。
耳の痛いご意見・・やはりありがとうございます。私たちも同じ思いでおりますが、町の立地上、どうにもならない点もあります。改善できる点は少しずつでもご希望に添えるよう皆で考えて行きます。
これに懲りず、またのご参加お待ちいたしております。寒暖差が激しい日々どうかお元気でお過ごしください。
安堵ボランティアの会 一同
・・・予告・・・
次回は12月4日(日)「安堵の里と大和川の道を歩く(曹洞宗 南陽寺)」
鬼に笑われますが来春4月9日(日)は「斑鳩から安堵へなごりの桜を愛でる(善照寺の花まつりに参加)」
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