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2023年10月27日 (金)

「観光ボランティアと歩く・なら」乱世を生きた安堵氏と窪田氏ゆかりの地散策

観光ボランティアと歩く・なら

   「乱世を生きた安堵氏と窪田氏ゆかりの地散策」

令和5年10月21日(土)  JR法隆寺駅改札前8時40分集合・順次出発

12時30分安堵町中央公園にて昼食後 バス・徒歩にて法隆寺駅前流れ解散

参加人数 38名 (受付参加者 30名+観光ボランティア 8名)  

法隆寺改札前にて受付

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大和路線沿いに天理軽便鉄道の線路跡へ・・・

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コスモスと黄金の稲穂を左右に鉄道線路跡の小道をたどる

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安堵町・木戸池の軽便鉄道橋脚跡(町の指定文化財)

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東安堵にある荘司家  町の指定文化財

塀の東南角には下半分が埋まった「右ほり(うし)」「左すてん(しょう)」と刻まれた古い石の道標があります。

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飽波神社鳥居  扁額「安久波社」は安堵町を愛した人間国宝の陶芸家・富本憲吉の揮毫

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例年10月第4日曜日が秋祭り。幕や御神燈が飾られて、今日は宵宮。夜店も並び4時からは奈良県民俗有形文化財に指定された「なもで踊り」の奉納も行われます。

折角ですので拙い一節をお聴きください。「🎵テーン ツクツ テンツクツ テンテン ツクツ テンツクツ 目出度さは 一本エノキのめでたさは もとは黒鉄 中 黄金 枝は白金 枝は白金 すえには 銭がなるとも🎵」 江戸時代からの古文書に記された歌詞です。

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いつもは拝殿からしか見ることが出来ない本殿。今日は近くでお参りできました。写真の皆さん本殿の後ろへ!何があるのでしょう?

「影向石(ようごういし)」その昔、この石に牛頭天王が垂迹(すいじゃく=神や仏が宿るの意味)され三日間、光を放っていたと伝えられています。暗くて写真はうまく映ってませんので悪しからず。

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飽波神社から太子道を北に歩いて行くと広い道から一筋手前に細い路地があります。この路地は天理軽便鉄道が通っていた線路跡です。信じられない道幅ですが写真左側の白い物の場所には安堵駅がありました。

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路地を抜けると、ビックリ‼ 宵宮の神輿の準備が氏子さんたちの手で。

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栴檀(せんだん)の古木に守られて「八王子神社」

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家々の軒には御神燈が掲げられています。

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観光館「四弁花」で小休止。正面奥の建物が富本憲吉生家(現在は料理旅館うぶすなの郷安堵城別館があった地とされる。

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大宝寺 (融通念仏宗)  安堵氏の持庵と伝えられている。

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たわわに実をつけた大きな花梨の木が塀越しに。 

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境内には筒井順慶供養の五輪塔があり、富本家墓所跡の石碑も建っている。

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安堵町観光駐車場で安堵城についての説明。写真奥のこんもりした木立付近は大将軍垣内で先ほどの八王子神社などがあった場所。付近には昔、大将軍と呼ばれた大きな池があり甚八と言う小字名が残る町役場南側の一帯は民俗歴史資料館にかけて、江戸時代初め頃にはまだ安堵城の痕跡の土塁が残っていたそうです。

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歴史民俗資料館  古代米のはざ掛け(はせ掛け)

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ムラサキシキブ

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綿の花

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窪田城   中家住宅 国の重要文化財

二重環濠を持つ美しい造形美の大和棟が特徴の中家。広大な敷地の中のほとんどが重文指定を受け石垣ひとつ、柱一本にも護り継がれた歴史が感じられます。窪田氏の子孫である中家。現在の屋敷は江戸時代創建と推定されますが、窪田氏の居城である窪田城の流れを汲むものです。

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門屋前の堀に掛かる板橋。侵入者を防ぐため中央部が取り外しできる。

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鋭い棘を持つ「からたち」黄色い実がお出迎え。北原白秋・詩集「からたちも秋は実るよ まろい まろい 金の玉だよ」

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母屋の大和棟 左の瓦屋根の上の小屋根は「煙出し」

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勾玉状に並ぶ11の焚口を持つ竈

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長い歴史を感じさせる黒光りする天井・釘一本も使われていない太い梁の造形・竈の煙で竹の天井の害虫が駆除出来る等など先人たちの生活の知恵には頭が下がります。(写真中央の四角い部分が煙出し屋根へとつながっています)

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中家に伝わる二つの梅干しの壺 

445年前(室町幕府から信長の時代への変換期) 255年前(江戸時代・田沼意次老中のころ)

「食べられますか?」「塩と梅だけで漬けてあるので、お味のほうは・・・大切なものですので(笑)」

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中庭の見事なススキ!奥様にお尋ねすると「矢筈(ヤハズ)ススキ葉に鷹の羽に似た斑入りで生け花などに使われるそうです。

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持仏堂 中家のご先祖を祀るお堂。以前は華蔵院と呼ばれ、ご住職が庫裡にお住まいだったそうですが、今は無住。

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「敷地内に自分のお寺が有るなんて凄いな!」「立派だね。」

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右側の茅葺の建物が庫裡

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庫裡の土間から上を見ると屋根の骨組みが良くわかります。

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左下(さげ)大明神社(天神神社)

ご祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノ ニニギノミコト)現在は写真のような小社ですが、大和川改修までは大きな境内地を持った神社でした。筒井氏の氏神として筒井城内で祀られていたものを永正2年に筒井順盛が窪田庄内に勧請した。当時は筒井氏をはじめ、家臣の武士たちが維持していた祭祀を中家が受け継いだと伝えられています。

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馬場塚 窪田地区の水田で囲まれた塚に武田氏家臣の馬場美濃守信房の供養塔として伝わる小型で不完全な五輪塔があります。この石造物によって筒井一族の窪田氏と馬場氏の関わりが想像されます。銘文が彫られた地輪と付随する馬場塚全体が町の文化財に指定されています。

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杵築(きつき)神社 窪田全体の総氏神で窪田大宮と呼ばれ素戔嗚尊が祀られています。平安時代川西町吐田の杵築神社から大和川右岸に勧請され、さらに大和川改修により500mほど北の現地に移転。本殿は創建以来春日式が採用され、現在の本殿は文化年間に奈良春日大社若宮本殿の造営時に旧本殿を拝領したものです。

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杵築神社を後にしてランチタイムの中央公園へ

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中央公園での昼食後、バスで法隆寺駅や平端駅に向かう人達と別れ、徒歩で法隆寺駅までひと頑張り。聖徳太子に見送られて帰路につきました。

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アンケート用紙や会話の中からご参加の皆様のお声を記します。

「のどかで良かった。」「適度な距離で丁度よかった。」

「見学地がコンパクトで少人数の班分けの案内が良かった。」

「丁寧なしっかりした説明が良かった。」「ガイドさんに好感が持てた。」

「家内に無理やり連れ出されたけど、来てみて気持ち良く楽しかった。」

「バスの時刻案内が資料にあったのが助かりました。」

「折角だから法隆寺を見学して帰ります。」

「個人的にグループで来てもガイドしてもらえますか?」

はい、ご連絡お待ちしています。

「安堵城跡が無かったのが、とても残念でした。」

こればかりは私たちガイドも同じ思いですが如何ともし難くて、ごめんなさい。

半日あまりで、行き届かぬことも多々あったことと思います。皆様のお声が励みになります。安堵町のウォークのご案内を見られましたら是非是非ご参加ください。お待ちしております。気候不順な折柄 お風邪などひかれませんようにお元気でお過ごしください。

***** 今後のウォーク予定のお知らせ *****

令和5年12月10日() 「天理軽便鉄道跡をたどる」

令和6年2月11日()  「砂かけまつり」  詳細未定

令和6年4月7日()   「花まつり」    詳細未定

 

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