カテゴリー「現地研修会」の8件の記事

2014年12月29日 (月)

法隆寺での現地研修会

12月22日、恒例の法隆寺現地研修会の日です。
講師は”斑鳩の里 観光ボランティアの会”のスーパーガイド岡村真門
さんです。
今回のテーマは法隆寺の仏像について
9時半に法隆寺iセンターに集合し、真門さんから『仏さまに会う1』と
いう、仏像の見方についての詳細な資料をいただき、30分ほど事前レクチャー。

しかし、なにはともあれ実物に接することが肝要と、法隆寺の中へ。
南大門をくぐって西院伽藍の正面へやってきました。
空は青空、さむ~~い。

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西院伽藍の前で、最初の仏像である仁王像の解説。
いつも思うのですが、人はただ眺めているだけでは何も見ていないのと
同じですね。(→それは私だけ?)

「東大寺の仁王さんと法隆寺の仁王さんの違いはどこでしょう?」と真
門さん。

「・・・??」

「東大寺の仁王さんは武器(金剛杵)を持っているけれど、法隆寺の仁
王さんは持っていないんです。(平和主義者)」

阿形も吽形も左手はグー、右手はパーの形です。
阿形のパーの形が見えにくかったので、中から覗き込んで写真に撮って
みました。

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と、ちょうどその位置から振り返ったところで真門さんに、土門拳の『古寺巡礼』にある法隆寺西院中門列柱の写真はここからのアングルだと教えてもらいました。
土門拳のまねをして写真を撮ってみましたが、いかがでしょうか?

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金堂に入るとすぐに見える多聞天像。
その多聞天の光背にある紋が法隆寺の門帳にプリントされています。
多聞天紋といい、日本最古の紋だそうです。
写真は金堂に入るところに掛けられていたもの。

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さて本当はここからが法隆寺の仏像についての現地学習のヤマなのですが、内部は写真撮影禁止ですので、現地でみていただくしかありません

もう国宝と重要文化財のオンパレードです。

実物を目の前にして、自分の気がつかないことをガイドしてもらって、
新しい発見に感動する。
何度も言いますが、ただ眺めているだけでは何も見ていないのと同じで
す。
ぜひ現地に足を運んで、すばらしいガイドの方に説明していただくのが
お勧めです。

このあと午後からは法隆寺バス停前のさとで、定例会を兼ねて忘年会をしました。

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2014年9月15日 (月)

記紀・万葉ウォーク「歴史と愛の町・三宅町を歩く」とお知らせ

お知らせ≫

記紀・万葉ウォーク『聖徳太子の足跡をたどるⅡ
 聖徳太子ゆかりの地を訪ねて~

開催日 : 9月28日(日)
集合場所: JR法隆寺駅  受付時間:9時~9時30分
解散場所: JR大和小泉駅 解散時間:15時ころ
参加申込方法: 当日受付
参加費: 無料
入場料: 200円別途必要(中家住宅入場希望者のみ)
案内団体: 安堵観光ボランティアの会

コース概要:JR法隆寺駅→飽波神社(なもで踊り披露)
  →安堵町歴史民
俗資料館→極楽寺→妙楽寺→子守神社
  →中家住宅→(昼食:窪田公民館
)→額安寺→推古神社
  →杵築神社→出雲寺→JR大和小泉駅

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9月14日(日)今年の記紀・万葉ウォーク『聖徳太子の足跡をたどるⅡの第一弾.、「歴史と愛の町・三宅町を歩く」がスタートしました。

安堵観光ボランティアの会からは8人のメンバーが参加しました。

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午前は「太子道~女帝と太子を結んだ道」と題して、奈良県立図書情報館の館長、千田稔先生の講演です。
定員400人強のホールはほぼ満員、大盛況です。

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近年「聖徳太子は存在しなかった」などという説もあるようですが、先生は発掘に裏付けられた太子の宮跡や古事記・日本書紀などの資料を示し、「その存在があまりに大きいからこそ、そんな説もあらわれる」と一蹴されました。

そしてそのように大きな力を持った徳太子(厩戸王)と女帝推古天皇を結ぶ太子道(すじかい道)が、上ツ道や下ツ道に比べて取るに足りない細い道であったはずがないということを、グーグルマップなどを示して考証されました。


引用された地図の中には、安堵町の太子道も含まれており
安堵観光ボ
ランティアのメンバーとしては、ワクワクするようなお話でした。

講演会が終わって外へ出ると、三宅町の役場前の広場で“飴湯”のおもてなしがありました。
冷たくておいしかったです、ごちそうさまでした!

午後からは三宅町の太子道に沿った史跡をめぐるウォーキングです。
万葉の衣装を身にまとった美しい踊りにうっとり、しばし古代へタイム
スリップ!

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忍性菩薩生誕の碑杵築神社など要所要所で、三宅町観光ボランティアの皆さんが、紙芝居を使って物語やガイドをしてくださるのも楽しくて、同じ観光ボランティアとしてとても参考になりました。

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三宅町の皆さん、そして観光ボランティアの皆さん、ありがとうございました!!
充実した楽しい一日でした。

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2012年11月22日 (木)

法隆寺の観音さま(現地研修会)

11月1日(木)、岡村真門さんを講師にお招きしてのガイド研修「法隆寺の観音さま」がありました。
早朝の雨もあがり、研修があった午前中は時々眩しいくらいの陽光が降りそそぐ絶好の研修日よりとなりました。

岡村真門氏の講話を聞く

参加者 : 安堵観光ボランティアメンバー 7名   
場所 : 法隆寺iセンター
時間 : 午前9時20分集合


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天気良し、気分良し、入門者の私は遠足のような心持ちで法隆寺iセンターへ。
まずはセンター内で30分ほど、観音さまの基礎知識に加えて“法隆寺の観音さま”について岡村さんの説明を聞いた。

法隆寺には1100体あまりの仏像があり、そのうち観音さまは100体ほどもあるそうだ。


数の多さもさることながら、それがまた時代の流れを追って拝観できるところが素晴らしいとのこと。
興味ある説明にあっという間に時間がたち、さっそく法隆寺へ、観音さま拝観へと出発した。

法隆寺境内では、たくさんの修学旅行の児童に会いました。
おおぜいの修学旅行児童の横を抜けて、静かなたたずまいの西円堂から実地研修だ。
平安時代の千手観音さまがお堂の中にひっそりとたたずんでおられた。
その姿の美しいこと、消えかかった彩色が当時の美しい観音さまを想わせる。

観音さまの信仰は現実的でおもしろい。
はじめ観音さまは人と同じ1つの頭、2本の手だったそうだ。
ところが、願いを聞いてほしい人が増えると、もっと願いを聞いてやろう、もっとたくさん救ってやろうと、千本の手をお備えになったというからありがたい仏さまだ。
実際は千本もつけられないから、左20本、右20本、それに観音さまの胸の前で合わせた2本の手を合わせて42本というのが一般的な千手観音さまらしい。
左右の手のそれぞれ1本につき25本分の救いの力があるという計算で、全部で1000本と勘定するとのこと、そのおおざっぱさは昔の人のおおらかさなのだろう。

法隆寺では、千手観音さまのほか、観音菩薩さまはじめたくさんの観音さまがさまざまな表情で私たちを迎えてくれる。
そのうちのひとつ、観音さまの象徴である懸仏という小さな仏さまが観音さまの頭の所にいらっしゃるのを初めて知った。

また聖霊院には聖徳太子像があって、その聖徳太子像の中には小さな観音菩薩像がおわします。
聖徳太子さまの口の部分に観音さまの目がくるように安置され、私たちの目に見えない隠れたところからもじーっと世の中をみているのだそうだ。
仏さまはこんなにもいろいろな形で存在し、私たち人間を助けてやろうと思っていらっしゃる。
ありがたいことだ。

法隆寺は一つの時代だけでなく幾時代かの仏像が現存し、時代の特徴を見比べることができる。
岡村さんはその一つとして四天王の特徴を示してくれた。
四天王といえば、持国天(東方)、増長天(南方)、広目天(西方)、多聞天(北方)だが、神様が踏みつけている邪鬼の表情もまた歴史の流れを見る上で特徴的だ。
この四天王と邪鬼を見て時代の流れを感じる、これが歴史を学ぶということであると岡村さんは言う。

・ 金堂に安置された日本最古飛鳥時代の四天王と邪鬼。
・ 大講堂に安置された平安時代の四天王と邪鬼。
・ 上御堂に安置された室町時代の四天王と邪鬼。

飛鳥時代の四天王はおおらかな優しいお顔をしており、邪鬼もおっとりした表情だ。
それに比べ、室町時代の四天王は迫力満点のお顔に邪鬼の表情も苦しいそうである。
時代が経過するに従って形相が険しくなってくる。
世相を反映しているのだ。 


とまあ、観音さま以外にも書ききれないほどの説明をいただいた。
それらをどの様に、どの程度、相手の要求に合わせて説明していくか、そのところがガイドの腕である。
上手くなるためには実際に人に話していくことが一番という。
感動を与えるガイドをめざしてほしいと言った岡村さんの言葉を忘れてはいけないと思っている。

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2012年6月18日 (月)

藤井寺野中寺研修ウォーキング

アップするのが遅くなりましたが、先日の現地研修会のレポートです。

6月4日、大阪府藤井寺市の野中寺と古市古墳群を訪ねた。
案内役は松本さんと現地に住み古墳群を世界遺産にするため奮闘中の小野さん。
近鉄の藤井寺駅をスタートしてすぐ商店街の入口に観光案内所があり、西安で墓誌が発見されて有名になった井真成(いのまなり)をイメージした公式キャラクター「まなりくん」に出迎えられる。

そこからは
葛井寺→辛国神社→岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)→野中寺→野中ボケ山古墳(仁賢天皇陵)→峰塚公園→日本武尊陵→安閑天皇陵→白鳥神社→近鉄古市駅
というコースを歩いた。


蔦井寺(ふじいでら)
この一帯の地名の由来になっている寺。今さら説明は不要か。

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辛国神社(からくにじんじゃ)
今から約1500年、雄略天皇の時代に創建された。
平安時代に官社となり式内社として信仰をあつめてきた。日本書紀の記述によれば物部氏が祖神を祀り、その後、辛国氏が祭祇をつとめて現在の神社名になった。
室町時代に現在地に造営され、奈良の春日大社の祭神を合祀、明治41年、長野神社の祭神巣戔鳴尊を合祀した。

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岡ミサンザイ古墳
「ミサンザイ」とは陵(ミササギ)が、なまったとされている。日本武尊の第二子、応神天皇の父である第14代仲哀天皇の陵と治定され宮内庁の管理下にある。
良く管理されているが拝所のすぐ前まで住宅が迫っていていささか窮屈な感じがする。

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野中寺(やちゅうじ)
羽曳野市にある真言宗の寺院。
国指定の史跡。伝承では聖徳太子が建立した48寺院の一つとされ太子の命を受けた蘇我馬子が開基と伝えられる。
また「上之太子」叡福寺、下之太子「大聖勝軍寺」とともに「中之太子」と呼ばれている。
境内に残る礎石から飛鳥時代~奈良時代前半に大規模な伽藍が存在したことは明らか。
創建当時の堂塔は南北朝時代までには消失しているが、境内に残る礎石からは法隆寺式伽藍配置だったことがうかがわれる。
創建時の境内は現在の山門から南へ数百mのところを通る竹内街道に面していた。
この寺で毎月18日に開帳される重要文化財の弥勒菩薩半跏思惟像(銅造)には台座の部分に「丙寅年(666年)に栢寺の僧侶が中宮天皇の病気平癒を請願して弥勒菩薩像を奉じた」と刻印されている。
弥勒菩薩像は像名不明なものが多い中、はっきりと制作年代のはっきりした点で重要。
また、ここの墓地には歌舞伎や浄瑠璃の演目「お染久松」主人公が眠っている。

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野中ボケ山古墳
第24代仁賢天皇の埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)に治定されている大王陵。
前方部が後円部に比較して大きく広がっている。
また、後円部よりも2mも高い。
1980年の調査で周濠にほぼ平行に埴輪列が見つかった。
翌年の調査ではすぐ近くで2基の埴輪窯が見つかった。
2基ともに同時期に操業しており、5~6回しか焼成しか行われなかったと見られる。
窯跡の埴輪と周濠から出土したものと特徴に差がないことなどから発見された窯はボケ山古墳のために築かれたと考えられている。

峰塚公園
峯ケ塚古墳を中心に整備された公園。
峯ケ塚古墳は墳丘長96mの前方後円墳。
後円部に石室が確認された。
また、銀や鹿角で飾られた太刀をはじめ武器・武具、馬具、金銅製冠帽、帯金具、ガラス玉など大量の出土品で知られる。
出土品などから5世紀末ごろの築造と考えられている。

日本武尊白鳥陵古墳
墳丘長200mの前方後円墳。
5世紀後半に築造されたと考えられている。
日本武尊は伊勢で亡くなり、白鳥となってこの地に飛来。
その後、天に向かったと「日本書記」は書く。
この名前は大和の武力勢力の長という意味で付けられと解されている。

安閑天皇陵古墳
古市古墳群の最南端にある前方後円墳。
墳丘には中世、高屋城が築かれたため変形が著しく、本来の姿が大きく崩されている。
東京国立博物館所蔵のペルシャ製ガラス碗(重文・正倉院の碗とそっくり)はこの古墳から出土したと言われている。
周辺は宅地造成によって際まで住宅がある。

白鳥神社
近鉄古市駅に近くにある。
円墳の上部を平らに造成して境内としたらしく石垣に囲まれた部分は丸い。
近くには、竹内街道と東高野街道の交差する場所があり往時の流通拠点が栄えたことを偲ばせるような広大な両替商の屋敷跡(建物はすでにない)を示す路上の表示がある。

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※今回の研修会は大阪府藤井寺市、羽曳野市を縫うように歩くコース。

古市古墳群と言われる地域だけに墳丘の数・形・大きさ、いずれをとっても圧倒される感じだった。
また、古い街道を表示するように道路の両端を朱色で舗装、中央部分は石畳を模した装飾がされていた。


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奈良でも太子道をはっきりさせるために立て札だけでなく道路そのものを色分けするなど、もっと工夫する必要があるのではないか、と感じた。
一度思い切って小中学生にペンキで道路に色を塗ってもらうような突飛な行事を考えてはどうだろう、などと思った。
街の中を表面に色のついた道路が通るのも一興ではないだろうか?

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2011年11月28日 (月)

第2回奈良県観光ボランティアガイド研修会

第2回奈良県観光ボランティアガイド研修会が、斑鳩町の「いかるがホール」で開かれました。
安堵観光ボランティアの会からは、7名が参加しました。

9時半開会あいさつのあと、法隆寺の長老・高田良信師の講演がありました。
演題は「法隆寺世界文化遺産への道」です。

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法隆寺が世界文化遺産となったのは、修理で取り外した古材を良く保存していたことが評価されのも理由の一つだそうです。古材まで大事に保管されてきたように、法隆寺は本当に大切に守られてきたことが分かります。

一方、世界文化遺産に登録されたとき、認定書が外務省で止め置かれていて、地元には知らされていなかったことには驚きました。

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午後からは三つのコースに分かれて、エクスカーションでした。
 Aコース:法隆寺見学
 Bコース:斑鳩三塔めぐり
 Cコース:藤の木古墳周辺

安堵観光ボランティアのメンバーは、全員Cコースです。まず昨年オープンしたばかりの斑鳩文化財センターで、藤の木古墳の出土品(橿原考古学研究所が保管)の里帰り展を見学しました。
その後、
藤の木古墳の内部を見学し、実物の石棺を眼の前に見て、感動を新たにしました。

斑鳩町の観光ボランティアの方々が、地元ならではの行き届いたガイドをしてくださったので、見どころたっぷりのエクスカーションでした。

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2011年11月14日 (月)

法隆寺の建造物について、ガイド研修会

本日は法隆寺の建築に的をしぼっての現地研修会。
法隆寺といえばこの方、いつもお世話になっております岡村真門さんが講師
です。

9時半から、iセンターで真門先生の簡単な講義。
真門さんが実地に歩いて検証したという、法隆寺の建物のそれぞれの建築年
代がわかる詳しい図表、建物の特徴が一目でわかる写真と解説のついた資料をいただきました(永久保存!)。
これさえあれば百人力、いざ、法隆寺の実地学習にしゅっぱ~つ!!

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法隆寺の中門の柱
私が子供の時学校で、法隆寺の柱の真ん中が膨らんでいるのはエンタシス
いって、古代ギリシアの影響だと習いました。けれど現在では、ギリシアと法隆寺とは関係がなかったことが分かっているということでした。
知らなかった!
それに柱の中に、一本だけ新しい柱があります・・・って。
これも知らなかった! こんど法隆寺へ行かれる人は、探してみてください。わかるかな?

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金堂の妻の部分に注目!(建物の特徴は妻の部分からよく見ることができます。)

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屋根の下の壁面に斜めの材木が見えます。叉首(さす)と言います。ふつうは真っすぐなのに、金堂の叉首(さす)は曲線になっているのも特徴。
それに叉首(さす)の下に窓がある!
いままで何回この建物をみたかも知れないのに、全く気がつきませんでした。

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回廊の上に渡されたカーヴのかかった梁(はり)の並びがずーっと見通せます。虹のように曲線がかかっているので虹梁(こうりょう)と言います。
虹梁(こうりょう)の上に、さっき金堂のところで学習したばかりの斜めの
叉首(さす)がのっています。
お、ちょっとわかるようになった、うれしいな。

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虹梁(こうりょう)がわかったところで、食堂(じきどう)の妻の壁に見える二重の虹梁(こうりょう)です。
なお、鬼がわらの下方、屋根の合わせ目のところにぶら下がっている飾りは
懸魚(げぎょ)といって、棟木(むなぎ)の端をかくす役目をしています。
これは猪目(いのめ)と呼ぶハート形(!)の穴をくりぬいた猪目(いのめ
)懸魚(げぎょ)です。
他にも蕪(かぶら)形や花形などいろいろな形の懸魚(げぎょ)があって、
これを見て歩くだけでも楽しいです。

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最後に、夢殿まで行って、八角形の建物の構造を学びました。

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午前中の短い時間でしたが、中身のぎっしりつまった研修でした。
法隆寺は本当に、どこをとっても何度行っても、学びつくせず語りつくせない
事物の宝庫です。
すばらしいガイドをしてくださった真門さん、ありがとうございました。

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2010年6月 7日 (月)

大和郡山市城下町の散策(現地研修)

JR郡山駅から出発して、現地研修です。
大和郡山市観光ボランティアガイドクラブの方が、ガイドをして下さいました。
道の真ん中に水路が流れる紺屋町通りを通って、郡山城址へ。

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追手門から柳沢文庫へ。
残念ながら本日は休館日でした。
文庫前の庭園で昼食後、城跡を散策。

郡山城・城下町の基礎を築いた豊臣秀長の墓所・大納言塚
意外と質素です。
メンバーの一人が、塚の横の木が上の方でくっついてしまっているのをはっけ~ん!

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塚の入り口には箱が置いてあり、中の砂を穴に三度通すと、願い事がかなうということでした。好奇心と実行力あふれるわが観光ボランティアのメンバーの一人がさっそくやってみます。
願い事、かないますように!(*^_^*)

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近鉄郡山駅の近くのカトリック教会内にある、浦上切支丹流配の記念碑
なんと、明治になってからもキリスト教徒への迫害があり、長崎浦上キリシタンの人々が捕えられ、各地に配流になりました。
ここ郡山につれてこられた人々の、受難の歴史を物語る墓碑です。
ちっとも知りませんでした。

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赤膚焼の窯元「二楽」で、赤膚焼の歴史や特徴などを解説していただきました。

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赤膚焼は奈良を代表する焼き物だから、当然、伝統工芸だと思っていましたが、
窯元は七軒しかなく、あまりに数が少ないので、伝統工芸に指定されてないのだそうです。
そうだったのか・・・。

三階建ての遊郭建築「旧川本家住宅」や「源九郎稲荷」を通り、JR郡山駅のすぐ近くに戻って、薬園(やくおん)八幡神社を見学。

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名前のとおり境内にはたくさんの薬草が植えられており、ザクロの朱色が鮮やかでした。

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日程を終えて、ほっと一息、みんなでお茶を飲みました。
メンバーのうち2人が万歩計をみたら、どちらも1万3000でした。数えてみたら、今日は、14か所も見学して回ったのでした。
見所が本当にたくさんありました。
あ~、疲れた~~。

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2010年4月25日 (日)

「古今いぐさ事情」について講演会

安堵町歴史民俗資料館で、「古今いぐさ事情」と題して講演会が開かれました。
講師は 
元興寺文化財研究所の主任研究員 角南聡一郎氏です。

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・ イグサは灯芯草ともいい、おそらく灯芯のほうが庶民になじみだっただろうこと。(畳は高価だったので、一般に普及するのが遅かった)

女房と畳は・・・とか、畳の上で 死ぬなどの日本人になじみの言い回しも、現代の生活様式からみて、今の子供たちには理解できなくなっているのではないかということ。

・外国からのイグサの輸入の急増のグラフや、台湾の畳職人の技術を画像で解説しながら、私たちの暮らしから日本の伝統的な生活様式が失われつつあること。

など、具体的な資料に基づいて説明され、時には笑いも交えての講演に、有意義な時間を過ごすことができました。

定員が40名の講演会でしたが、観光ボランティアの会からは6名が参加しました。

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講演会の後、資料館でいぐさについての特別展示を見ました。

資料館の庭には、盛りを少し過ぎていましたが、牡丹の花が庭いっぱいに咲いていて、いい匂いがしてとてもきれいでした。

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