カテゴリー「ガイド養成講座」の23件の記事

2018年12月17日 (月)

研修講座 5回目



安堵観光ボランティア研修講座 5回目


平成30年12月10日(月)   於:トーク安堵カルチャーセンター3F 研修室


タイトル「大阪メトロ開業と鉄道の基礎入門」

          副題:天理軽便鉄道を懐かしみて


   
講師  中島 紀夫 氏 (安堵観光ボランティア会員)

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タイトルに鉄道の文字・・・鉄だけに固いお話かと少し緊張と不安の中で参加。

講座が始まるまでの時間待ちの研修室は、和気藹々と程よくリラックスムード。

参加者16名での開講となりました。



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鉄道の定義、特質・・・ ①輸送力 ②軌道 ③軌間 ④エネルギー源と機関

⑤鉄道条例・法 ⑥軽便鉄道法による鉄道参入 ➆平成30年度大阪メトロ開業


以上の7章を基礎にお話が進められました。 (やっぱり・・・固いかな!?)

産業革命など、世界規模の講義は定番として、ブログでは割愛しました。


日本における人力や馬車鉄道の歴史

馬車鉄道 1882年営業が始まった
新橋~浅草天王寺~住吉など、のちに電

化され都市交通の緒となる。蒸気機関ではは1872年の官鉄・
新橋~横浜は開

業から施設や技術導
など丸抱えから自前化へと急速な努力がなされた。

その後、馬や煤煙の公害の無い電動車が急速に普及。1895年には琵琶湖疎水

の電力を利用した
京都~伏見京都電気鉄道の路面電車が日本で最初。


天理軽便鉄道を懐かしみて


明治末には軽便法で各地で出願の鉄道が流行。目論見書認可された天理軽便

鉄道は、大正2年工事着工。大正4年2月
新法隆寺~天理駅営業開始。

大正9年末に大軌(現・近鉄)の畝傍線計画に際し、解散・譲渡する。

平端駅新設、東側の天理線は電化して現在に至る。西側は大軌法隆寺線とし

て軽便・SLにて運用。昭和3年春よりレールカーを導入。プラットホーム改変や

転車台を設置。戦時末にはガソリンが無く、木炭ガス発生器を付属改良して走行

するも、昭和20年のレール供出で営業を停止。復活の願いも虚しく昭和26年に

バス便開通にて、翌27年4月に廃業・廃線となる。



平成30年度  大阪メトロ 開業


大阪市では公道を走る路面電車が明治36年の築港線の開業から逐次拡張。

他にバスやトロリーバスが交通手段として利用された。但し将来的に大量輸送

を模索した中で公道路面からの地中化をした物が、昭和8年の
地下鉄御堂筋線

の一部に始まる市営交通の発展である。既に9路線にもなり大阪市郊外にも路

線は延び、その公益を考えれば民営化は一つの選択肢であった。




なかなか思うように講義レポートはまとまりません。拙いながらも「それなりに」で

ご容赦ください。雑学もいろいろと楽しく受講でき、ありがとうございました。

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2018年7月20日 (金)

研修講座 4回目

安堵観光ボランテイア研修講座 4回目

タイトル「明治維新から150年 
            ~奈良にもいろいろありました~」

講師  奈良まほろばソムリエの会 会員 西川 誠 氏(安堵観光ボランティア会員)
 
平成30年7月8日(日)      於:トーク安堵カルチャーセンター 研修室



1868年徳川幕府が崩壊し明治政府が樹立した明治維新から今年で150年。

政権、政治のみならず、国の在り方や庶民の生き方をも変えるような大胆な出

来事が沢山あった時代の流れのなか、大和=奈良県を中心に周りのことも見な

がら、ちょっと振り返ってみましょう。


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1・なぜ徳川幕府は崩壊したのか~維新に至る原因。

江戸時代3大飢饉・黒船・安政の大獄

天誅組の変・安堵に所縁の天誅組の伴林光平が囚われの身で獄中で書き上

げた「南山踏雲録」の話。また、逃げのびた青木精一郎(三枝蓊)が鳥取の湯

梨浜に潜伏した5年間の足跡をたどってのお話は興味深いものでした。

慶應3年に東海地方から始まった、おかげまいり・「ええじゃないか」は大和にも

広がり、伊勢神宮の御札が同年11月23日には安堵笠目の吉田家にも降った

そうです。


2・新政府への期待(裏切り)

庶民は生活が楽になるのではと新政府に期待し「御一新」と喜んだが、鳥羽伏

見の戦いから戊辰戦争、さらに函館五稜郭の戦が繰り広げられる中で、大和で

は生駒の辻村で起きた矢野騒動の「傘形連判状」は首謀者を特定しにくい円形

(傘を広げたような)に、なっている。


3・ドタバタ新政府

神仏分離廃仏希釈  社寺王国と言われる奈良では特に大きな被害や多くの

混乱が有ったそうです。

廃藩置県・・・めまぐるしく変わる新政府の考え  

「大和鎮台」→「大和国鎮撫総督府」→「奈良県」→「奈良府」→「奈良県」→

明治9年
「堺県」に。再設置を望む(吉野の山林王土倉庄三郎・・・俗に政財界

人の吉野詣でと言われるほどの力が有った)が、まとまり無く経過。

明治14年 「堺県」が「大阪府」に統合。再設置運動の声が再び拡大。


今村勤三・・・再設置の父と呼ばれているだけでなく経済人としても抜きんでた

才能を発揮した凄い人物)
 

明治16年  再設置の建白書提出するも、却下され運動は下火に。

明治18年7月  台風被害甚大なるも大阪府の他所への対応ばかりで奈良

は手つかず。危機感を切実に持っての再設置運動が再燃。


明治20年 伊藤博文内閣より再設置の内諾あり。可決、裁可される。

新生奈良県の知事・・・税所 篤 (さいしょ あつし)は鹿児島出身の元老院

議官。奈良県の発展のため私財をも投じて尽力。後に、霧島神宮 宮司となる。




以上が講座の要点でした。印象に残った西川氏のことばをご紹介します。

「歴史的なことを調べてみると、一見無関係な人物・事柄・場所
などが、

どこかで繋がっていることに気づき、なお一層面白さを感じます。」


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大変分かりやすく、興味深い楽しい講座でした。学生時代から、

四角四面な講義よりも、雑学を入れながらの授業の方が大好きでした(笑)
 

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2018年6月28日 (木)

研修講座 3回目

安堵観光ボランティア研修講座 3回目

タイトル「飽波神社と極楽寺」     講師・橋本紀美 館長

平成30年6月24日(日)     於:安堵町歴史民俗資料館

ガイドとして身近にあるテーマでありながら、不勉強なところも多々あり、今日は

ドキドキと学生に戻った気分で講座に参加しました。

安堵史料・上巻および下巻安堵神験記を紐解き飽波神社極楽寺の関わり。

極楽寺に保管されている大般若経は、その昔 飽波神社の神前で僧侶6人

転読していたそうです。


極楽寺の塔中(東之坊・西之坊など)や上座・宮座ついての話。
法脈を継ぐ学問

の話など難しい話でしたが、初めての一般参加のかたも、史料
のページをめくり

ながら真剣にメモを。

明治の廃仏毀釈や現在の奈良県が和歌山などに管轄されていた時代変遷の背

景のなかで史料が不明瞭な個所もあったり、古い言い伝えなどでは「?」の部分も

あるそうです。


いろいろと興味深い ご講義を有難うございました。

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2018年6月 3日 (日)

研修講座 2回目

安堵観光ボランティア研修講座 2回目

窪田モニターコースを歩く   平成30年5月28日  13:30~

9月24日の「観光ボランティアガイドと歩く・なら」の試走をかねて

(中央公園ー下窪田蘇武の里・杵築神社ー平楽寺ー(太子橋)-常徳寺ー
 馬場尻橋ー 川西町・南陽禅寺―川西町・杵築神社ー案山子公園)

時間の都合で、少し当初の予定コースを変更 しました。

 

下窪田・杵築神社  

優しいお顔の二体のお地蔵さま(昔、洪水の折に流れついたとか・・・)がお祀りされています。

鳥居から境内を

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大きな栴檀の樹の根元には、小さな六地蔵

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南陽禅寺  (川西町・吐田)

馬場尻橋を渡ってすぐの左手の竹藪を曲がればお寺が在ります。

竹の花   50年か60年に一度咲くと言われている。

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曹洞宗 南陽禅寺 山門 右側に
「如是禅林」と掲げられている。

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馬場塚との縁を訪ね、古いお墓を前に ご住職のお話を伺う。

安堵と吐田は古くからの所縁があることが分かりました。

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本堂にお参りさせて頂きました。内陣に奉られ安置された仏像配置
                           
(外陣から内陣を見る)


                
御本尊・釈迦牟尼如来

         
 普賢菩薩               文殊
菩薩

 

      大日如来       瑩山禅師       達磨大師



「参禅道場」「写経道場」も開かれているそうです。

山門の「禅林」はお寺を表す言葉だそうで、正に「修行道場」の意味とか。

いまさらながら、この歳で学ばせていただいた一日でした。

 

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2018年5月20日 (日)

研修講座 1回目

安堵観光ボランティア研修講座 1回目

昨年までの「安堵観光ボランティアガイド養成講座」の堅苦しいタイトルを一新。今年からは「研修講座」として、内容も身近なことをメインに興味をもたれた一般の人の多数のご参加を期待してのスタートです。

タイトル「安堵町のいま・むかし」     講師・橋本紀美館長
     ~辻本忠夫氏スケッチ画より~

平成30ねん5月13日(日)   於: 安堵町歴史民俗資料館

このポスターの写真、4月の桜まつりのブログにもありましたね。

約2か月間の展示企画でした。

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作者・西安堵出身の辻本忠夫氏(1903~1981)は歴史や文化に深い関心を

持ち、大正時代から昭和30年代の安堵町や周辺の風景をいきいきと描いた

スケッチが数多く残されています。

そこには当時の暮らしを描いたものも多く、印象に残ったのは

野辺送りの葬送の列。今では見ることも無い円形の深い桶のような「座棺」。

「覚えてるよ。昔は、そうだったね。田舎では土葬があったから。」

また、笠目地区の古い景色のスケッチ画と同じポイントからの写真が並べて

展示されていて、バックに映っている山並みが無ければ、同じ場所だとはわかり

ませんでした。懐かしく貴重な資料だと思いました。








  

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2017年7月 6日 (木)

安堵観光ボランティアの会研修講座 第3回目

7月2日(日)安堵観光ボランティアの会研修講座 第3回目
「善照寺と広峰神社、業平道」です。
会場の
善照寺にはたくさんの人たちが集まり、本堂の椅子に座りきれず、立見席?ならぬ床の座布団の上で聞く人も。

善照寺の坊守林宣子さんのお話です。

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善照寺が真宗の念仏道場として始まったのは、応仁の乱と同じ1467年のことです。
今年は2017年、ちょうど550年になります!!

開山の折に蓮如上人から、直筆の六字名号「南無阿弥陀仏」を賜りました。(写真左)
その約150年後、第十二世准如上人から直筆の十字名号を賜る。(写真右)
二つの名号は、1767年に本山から阿弥陀如来像が下付されるまで、寺の本尊として礼拝されていました。

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善照寺といえば冨生の松でも有名です。
この松は江戸時代の中頃、蓮如上人ゆかりの福井県冨生村から運ばれてきたものです。

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樹齢およそ300年となる見事な松ですが、約20年前には一時枯れかかったことがありました。
樹木医や植木職人さんの手によって回復し、今では境内一杯に大きく枝を伸ばしています。


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江戸末期に河内の富豪、河内屋藤兵衛が寄進した半鐘も回廊につるされています。
檀家の人たちも大変豊かであったようです。

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お話の後、内陣の脇間にかけられた六字名号と十字名号を、間近に拝観させていただきました。
善照寺の副住職さんが、蓮如上人の真筆であると鑑定された「南無阿弥陀仏」の字の特徴などを説明してくださいました。
本当に力強い文字だと感じました。

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また脇間の天井には梅やキクなどの季節の花々が描かれいて、これも一見の価値ありだと思いました。

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≪参加者の皆さんの感想≫

・先ず大勢の参加者にびっくり!
 蓮如上人のご加護が、今も続いてる!

・50名以上の集まりで、林さんの思いのたけをお話いただき、六字名号、十字名号を見せていただき、良かった。

・今日は仏縁をいただき、おまいりさせていただき、いいお話を聞かせていただき、ありがとう御座います。

・善照寺のこと、寺の維持のこと、世間のこと、いろいろ勉強できました。
人生も終盤だけど、まだがんばらなければ・・・。

・善照寺さんの歴史を深く勉強しました。
当寺はもちろん、檀家さんの思いが寺を守っておられる。

・仏様の法話にとどまらず、安堵町民としての美化活動を心掛けているご住職の熱い心に、勇気をいただきました。

林さんのお話、代々の住職さんや檀家の方々、周りの人たちの努力と支えで寺が守られてきたのだということを、深く心に銘じました。
素晴らしいお話、ありがとうございました。

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2017年6月21日 (水)

研修講座「講談・落語に学ぶ奈良の歴史」

6月18日(日)、安堵観光ボランティアの会研修講座 第2回目がありました。

講師は奈良まほろばソムリエの会 西川 誠さん
「講談・落語に学ぶ奈良の歴史」―鹿政談と江戸時代の風習―をテーマにお話ししてくださいました。

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会場はこれまでにない多数の参加者で、西川さんのファンの方も多かったのでしょうか、終始和やかな雰囲気に包まれていました。

安堵町ゆかりの馬場塚の由来を講談に仕立てた「出世の大杯」。
主君の勧める大杯を飲み干して出世の糸口をつかんだ大変おめでたい話です。
プロ顔負けの語り口で、思わず話に引き込まれてしまいました。

さらに落語「鹿政談」。
朝早くから豆腐作りに励んでいた六兵衛さんが、誤って鹿を殺してしまいます。
奈良で鹿を殺せば死罪。
名奉行川路聖謨(かわじ としあきら)はこれをどう裁いたのでしょうか?
人情噺です。

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その他にも大仏様の目玉が落ちたという昔話。
クイズに仕立てた奈良の名所にまつわるさまざまな話。
面白くてためになり、笑いが絶えない楽しい研修会になりました。

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参加者の感想です。

・馬場塚が講談になっているのはうれしいです。
 どうして窪田なのかはやっぱり謎だが、藤堂高虎や真田幸村の登場で、
 これはもう大河ドラマの世界。
 ここはひとつ、思い切り話を大きくして、安堵に来られるお客さんに、
 楽しんでもらいましょうか。

・落語がこんなに歴史の勉強になるとは!
 歴史的な話題の広がりに感動。

・古典落語には話の原点があるということが、勉強になった。

・落語での歴史講座、とても楽しくよくわかりました。
 奈良の早起き三文の得とか、大仏様の目ん玉など知った話で、楽しかった。

・大仏は見るものにして尊ばず(川柳) ウ~ン 納得。
 鹿政談の面白さ。
 馬場塚の講談はマスターしたい。

・面白い、賢くなる、誰かに言いたくなる。
 あー、忘れないようにもう一回聞きたい。

・西川さんのお話、とても楽しくて、すぐに時が過ぎました。
 こんな話をもっとたくさんの方々に聞いてもらいたかったです。

西川さん、こんなに楽しいお話、本当にありがとうございました。

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次回の研修講座は7月2日(日)9時半~
「善照寺と広峰神社、業平道」
安堵町役場前 9時10分集合、または直接善照寺へ

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2016年8月 1日 (月)

平成28年ガイド研修講座

平成28年度のガイド研修会を次の日程で行いました。

 5月8日(日)  「天理軽便鉄道の歴史」      橋本紀美先生
 6月5日(日)  「安堵氏と窪田氏」         吉田栄治郎先生
 7月3日(日)  「近世大和の農村に残った大和武士の末裔」  同
 7月24日(日) 「杵築神社と馬場塚」    稲熊眞彦氏(杵築神社宮司)

今年は、全ての講座を日曜日に開催、現役世代の方も居られ多くの参加者で盛況でした。


1.天理軽便鉄道の歴史

今年は 「天理軽便鉄道 --開業100年--」で、歴史民俗資料館の特別展示も「天理軽便鉄道」、展示品の貴重な写真や鉄道資料の解説を、いつものように橋本先生に伺いました。

天理軽便鉄道の開業は大正4年で、西暦では1915年、ということは開業100年は去年だったんですが、安堵駅が開設されたのが大正5年で、正確にいうと今年は安堵駅開業100年なんですね。そのこともあってか、安堵の駅の駅前商店街の略地図が資料にありました。

図がそれで安堵駅は町役場近くの交番の東側にあったそうです。お店が沢山あったんですね。飽波神社向かいのタバコ屋さんとその前の理髪店は今もありますね。駅前通りは聖徳太子の太子道、法隆寺-平端の道は近世の歴史街道「布留街道」、ここは古代から続いている安堵の表参道だったんです。


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2、安堵氏と窪田氏

3、近世大和農村に残った大和武士の末裔

うれしいことに歴史ブームで、おまけにお城ブームで姫路城や熊本城や石垣しか残っていない竹田城は誰でも知っているんですが、安堵城窪田城は安堵の人でも歴史の好きな人以外はあまり知られない。

今回のテーマは、東安堵の富本憲吉の生家の富本家(中世の安堵氏)、と窪田の中家(中世の窪田氏)、それぞれの家に伝わる古文書から、大和川のほとりの小さな村に起こった遠い時代の物語を読み解いて、教えてもらえる吉田先生の講座は、あまりにも創作になりすぎた大河ドラマよりはるかに面白い。緻密な古文書の検証が歴史の醍醐味、それが先生の人気の秘密なんでしょう。来年もまた期待しましょうか。

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4.杵築神社と馬場塚

梅雨が明け、夏本番の日曜日、中窪田の杵築神社に集まりました。本日の講師は宮司の稲熊さんで、神社の由来と歴史がテーマ。杵築神社の祭神のスサノオミコトは、「スサブル」と言う言葉からきている神様で、「荒々しいアラブル神様」。その神様の力を借りて、古代の人は荒らぶる川の氾濫を治めようとしたのです。

そして、大和川も昔も今もあばれ川、この窪田大宮の神様もまたアラブル大和川を治めるためにここに居られるとか。昭和35年の大和川の流路変更の時も、窪田の人々とともに、神様もまたここに移ってこられたのでしょう……。

そのあと、新しく綺麗に朱に塗られた本殿に玉串を奉納して、今年の夏の健康を祈願しました。だから、うれしいことにこの夏は元気に過ごせそうです。

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この杵築神社の本殿は、江戸時代に春日若宮の本殿を拝領したもの。奈良に現存する若宮社の拝領神殿の中でも、最も古いものです。

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2015年8月 2日 (日)

観光ボランティアガイド養成講座・最終回

7月27日、ガイド研修講座の最終回です。

午前10時に安堵町役場前に集合。
役場庁舎の5階の部屋から(許可をもらって)安堵町を一望します。

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おおっ!
上から眺めると、良く知っている場所も全然違うものですね。

南方向の景色です。

右下の消防署あたりには安堵城あった跡とされています。
そして目の前の緑の田んぼは、もとは池で安堵城の濠だったそうです。

写真を少しズームアップしてみましょう。

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左から大宝寺富本憲吉邸、天津神社、大道教会の屋根が見えます。
さらに遠くに目を移すと、大和三山が見えています!

「ここからの眺めを、ぜひ安堵町のみなさんや
 観光に訪れた方々に見てもらいたい。」

「そうなればいいな。」との声。

正面から東(右)方向に目を移します。

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飽波神社の森って、意外と大きいんやな」

金剛山、葛城山の山並みも美しく、遠くまで見晴らせる風景は気分も晴れやかにしてくれます。

さて次は役場の近くを回ってみましょう。
西名阪のガード下近く、東安堵集落の東の入口にあたる場所にお地蔵さんが祀られています。

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同じ場所に、バッサリと切り詰められたヨノミノ木と宝篋印(ほうきょういん)塔梨の功労者顕彰碑関取顕彰碑が身を寄せ合うように建てられています。

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これは関取顕彰碑です。

安堵町にはかつて特産の安堵梨があったそうです。
が、戦争中に途絶えてしまって今は残っていないとか。
残念、食べてみたかったなあ~。

富本憲吉の窯(アトリエ)跡です。

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「つちや窯場跡」の名称が入った看板がありますが、今は憲吉が使った実際の窯跡は残っていません。
新しく「安久波窯」として、陶芸教室になっています。

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大宝寺の境内にある筒井順慶を供養する五輪塔

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その横に富本家墓所跡の石碑もあります。

最後に立ち寄ったのは、東安堵バス停横の細い道を入ってすぐの八王子神社です。

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安堵町で生まれ育ったメンバーのひとりが

「小学校の時ここの写生をして描いた絵が、県の展覧会で入選した」

一同、「ええーっ!」

もう、ン十年前の話ですが、その時の絵が残っていたら、当時の様子がよくわかる貴重な資料になっていたでしょう。

ご近所のひとも出てきて、今でも中秋の名月の日に境内で供物をささげる宴の風習が受け継がれていることを話してくださいました

中央の大木はセンダン(オウチ)の木です。
私は薄紫のやさしい樗(オウチ)の花が好きなのですが、安堵町のこんなところに樗の木があるとは知りませんでした。
しかも私も生まれも育ちも安堵町で、ここは子供のころから何度も通っているにもかかわらずです。

ひとは意識していないと、何も心にのこらないのですね。

安堵観光ボランティアの会に入っていろいろ教えてもらい、ふるさと安堵の再発見ができてとても楽しいです。

樗の花の咲くころに、またここへ来てみようと思いました。

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2015年7月12日 (日)

第3回観光ボランティアガイド研修講座

7月10日、第3回目のガイド研修講座の日です。
連日の雨、朝もまだ雨が降っていたのに、晴れました~っ!

10時少し前に子守神社につくと、ひとがいっぱい!

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地区の役員の方々が会場設営をし、御神燈まで軒下に飾り付けてくださって雰囲気が盛り上がります。

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御神燈には子守神社のシンボル“こうもり”の絵。
かわいいデザインです!

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中国語では「蝠」と「福」が同じ発音なので、蝙蝠は吉祥文様とされています。
日本ではそれほど使われていないようですが、
幸福のシンボルです。
みんなが、幸福でありますように!

拝殿の中の会場もたくさんの人で熱気にあふれています。

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そんな中で吉田先生の講演が始まります。

タイトルは
「子守神社と中宮寺」。

 “子守神社は謎の神社 だったんですね 

謎その1  祭神は誰?

 恵比寿さまかイワスヒメか、いずれも水に関係のある神様だけれど、
 岡崎には水運で栄えるほどの大きな川がない。

 それなのになぜ水の神様が祭られているのか?

謎その2  子守神社という名前なのに・・・?

 子守(こもり)とはもともと「水分」(みこもり)と言って、水の配分をつかさどる神をさす。
 水の配分は川の上流で行うから、水分神社は川の上流にあるのがふつう。
 それなのに岡崎川は川の上流どころか下流に近い、なぜ?

謎その3  中宮寺との関係?

 子守神社の神殿は、中宮寺から寄進されたとの記録がある。
 けれどもその記録以外中宮寺との関係を示す記録はなく、
 どうして中宮寺から寄進されたのかわからない。

 神社の神殿には、中宮寺との関係を示す菊の御紋が輝いているばかり。

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岡崎出身で中宮寺に仕えた高貴な女性が、故郷をしのんで寄進した・・・
なんて夢とロマンがふくらみますが、どうでしょう?

吉田先生の詳しい調査と検証を交えたお話でも
「じつは、よくわかりません」とおっしゃることが多かったです。
その「わかりません」の言葉が出るたびに、
会場からは明るい笑いが湧き起こっていました。

わからないことが多くても、子守神社は地元の人たちに愛され、
大切に守り継がれてきた神社であるということ、
そのことは本当によくわかりました。

妙楽寺へ。

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この日はご本尊の扉を開けて、特別に拝観させていただくことができました。
ご本尊は阿弥陀如来立像で聖徳太子作と伝えられています。
が、詳しい調査はまだなされていません。

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境内にある薬師堂は以前は子守神社にあったそうです。
ふだん格子の外からしか見れませんが、今回は直接お堂の中へ入って拝観させていただきました。
とても美しいお顔の如来様です。

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おもわず闘病中の友人知人の顔を思い出しながら、病気の平癒を念願して合掌しました。

次回の研修講座は最終回です。

テーマ 「ガイドの実践」
日時 : 7月27日(月)10時~12時
講師 : 観光ボランティアの会会員
場所 : 安堵町役場前

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