今年の春の歴史民俗資料館の特別展示は 「天理軽便鉄道 --開業100年--」。 それの関連企画で、軽便鉄道跡のウォーキングと講演会が、5月29日の日曜日にあり、 観光ボランティアガイドもサポート隊として同行、参加いたしました。 案内と講演会の先生は、柏原市教育委員会の石田成年先生、当日は初夏を思わせる暑さの中、法隆寺から近鉄の平端駅まで、70年前の終戦の年まで走っていた鉄道の記憶を求めて、歩きました。
現在のJR法隆寺駅南口で集合、先生のご挨拶。
駅前の現駐在所東側付近にあった 「新法隆寺駅」 を出発。すぐに松の木が目印の用水路に残るレンガ遺構にて。
斑鳩の田圃の中、JR線と並行して残る線路跡の径を辿る。
富雄川に向かってなだらかな坂になって途中まで残っている。田植えの準備の農家の男性が、「こどもの頃は、木炭車をこの坂で押したんや!」 と話して下さいました。
JR大和路線が上を通る阿波の高架下のレンガ壁面で、「鉄道建造物におけるレンガの積み方」 を実際に見ながら先生の説明を聞く。
「イギリス積み」 と呼ばれる工法で、レンガの上を向いた広い面には、製造所の刻印があるが、多くは古く磨耗している由。また高架を支える鉄骨にもメーカーの刻印が見られる。
木戸池に残る築堤。(安堵町指定文化財)
飽波神社にお参り。
飽波神社から太子道を通り、安堵駐在所南がわに東西に残る路地 (東へ伸びている様子がわかる) を見ながら、安堵駅をイメージしてみる。
カルチャーセンターの会議室で、石田先生の講演が始まりました。
皆さん、真剣な眼差しで、メモを取ったり、スライドを見たり、天理軽便鉄道のみならず、日本の近代建築の遺構への熱い思いが伝わって参りました。
歴史民俗資料館に到着。
資料館の展示室光景。 軽便鉄道のみならず、灯芯引き、古民具など熱心に、また懐かしそうに見学されていました。
岡崎川 (高速の北) 辺り。 この辺で、軽便鉄道跡は辿ることが出来なくなります。工業団地 ・高速の建設などで、全く困難な状態とのこと。これから向かう平端へと、頭の中、もしくは古い航空写真などがあれば、架空の線を描けるかも(?) とのお話。
額田部の「融通寺」にて小休憩させていただく。船墓山古墳のある大念仏の名刹。
平端へ向かう真っすぐな道路の入り口 (道路の西は工業団地) 当時の細い道のままだそうです。
額田部駅のあった場所 (現・点滅信号のところ)
平端に向かって左側とのお話しでしたが、参加者の中に82歳の近くの方がいらして 「違う、違う。右側のこの駐車場になってる場所が駅やったんや。」 まだご存知の方がいらっしゃるんですね。
平端に到着。お天気予報通りに雨がポツポツして来ました。
「皆様お疲れさま、先生、有難うございました。」
最後に参加者のこんな言葉をご紹介しましょう。
「僕はね、こんな行事に参加して良かったなぁ! と思うのは、どんな些細なことでも、新しい発見や収穫があった時なんですよ。今日はレンガ積みのことを色々と知ることが出来ました」
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