カテゴリー「町民の安堵町再発見」の3件の記事

2020年9月13日 (日)

安堵町再発見(筒井順慶ゆかりの地をめぐる)

 

~安堵町再発見~

 筒井順慶ゆかりの地をめぐる

 

開催日時 令和2年9月12日( AM9時半 集合(カルチャーセンター)11時半 解散(カルチャーセンター)

参加者  7名     スタッフ  8名

 

残暑厳しい秋 コロナ禍の中 久しぶりの活動再開は町民の皆さまと共に 町内をめぐり再発見のウォーキングになりました。予定のコースはいつも通る道や、まだ通ったことのない路など。

 

天理軽便鉄道大和安堵駅跡

大正4年開通(新法隆寺~天理)→大正5年(大和安堵駅設置・駅前には商店街ができ、安堵の玄関口として賑わいました。)→大正10年(新法隆寺~平端折り返し運転)→昭和20年(線路供出・廃線)

 

安堵城跡  (戦国時代の領主・安堵氏の居城)・・・(写真は八王子神社)

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現在の安堵町役場の南から歴史民俗資料館にかけての一帯にあった。江戸時代初めにはまだ土塁があった。安堵氏は筒井氏と姻戚関係を結び安堵城を本拠に戦うも、1569年松永久秀に攻められ落城。今では跡かたもありません。

 

大宝寺   (江戸時代に融通念仏宗に転宗)

もと極楽寺塔頭のひとつで安堵氏の持庵と伝えられる。境内には1584年に亡くなった筒井順慶供養の五輪塔が残されている。

 

安堵城別館 (現在のうぶすなの郷TOMIMOTOレストラン兼宿泊施設

安堵氏が日常暮らした居館の場所。江戸時代には東安堵の大庄屋・富本家の屋敷地。後に人間国宝の陶芸家富本憲吉の生家として有名になる。

 

平楽寺 (飽波神社南の寺垣内にあり寺伝では聖徳太子開基とされる) *注*非公開

戦国時代の天正年間に筒井順慶、あるいはその一族により再興されるも、明治の廃仏毀釈により廃寺となる。本尊の地蔵菩薩立像は子安地蔵として今も尊崇を集め、寺垣内の人々により維持管理されている。

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十一面観音立像

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弘法太子坐像

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誕生仏

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参加者の声 「こんな所に路が有ったなんて!」 「行きどまり?どこへ続いてるの!?」

数珠繰りの大きな念珠の実物も見せて頂きました。スタッフの中にも平楽寺を訪ねるのは初めての者も居り、大変有意義な再発見でした。非公開にも関わらず拝観させて下さいました寺垣内の皆様ありがとうございました。

 

極楽寺     (聖徳太子建立の46カ寺の一つ「常楽寺」跡と言われている)

本尊の「阿弥陀如来」は重要文化財で平安時代の定朝様式。脇侍の「聖観音立像」は本尊より古い平安時代中期の一木彫り。また、奈良時代に書写された「大般若経」6巻をはじめ600巻が残されている。

本堂東のお堂には「広島大仏」と呼ばれる阿弥陀如来坐像が安置されている。かって広島西蓮寺で原爆被災者の心の拠り所となっていた仏様。

 

ほうけんと(宝篋印塔=ほうきょういんとう) 写真左端の 赤◎印

この場所(大和屋自動車前の道路南側)は東安堵集落の入り口で、宝篋印塔は仏塔(五輪塔)で疫病などが集落に入らないよう祈った祭祀場だったのでしょう。人々は顕彰碑を建てるなど生活の一部として大切にしてきたことが窺えます。

梨の功労者顕彰碑 写真の高い石碑 青◎印 明治42年に建てられた。

特産の安堵梨を確立させた功績者宮島榮太郎を顕彰したもの

関取顕彰碑     写真中央の低い石碑 黄色◎印 1819年江戸後期に建てられた。

石碑には「神楽山源右衛門、唐枩嘉右衛門、文政二己卯八月吉日、門弟中」と刻まれています。

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百日紅、百日咲き続けたピンクの花。残暑のなかにも秋を感じさせる青空。何気なく通り過ぎた町の一角にある歴史の足跡。皆さん 楽しんで頂けましたでしょうか。お疲れさまでした。

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9月26日のJRハイキングは、お知らせの通り実施いたします。爽やかな一日をご一緒に過ごしませんか?皆さまのご参加を心よりお待ち申し上げております。

                安堵観光ボランティアの会一同                  

 

 

 

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2019年9月26日 (木)

町民の安堵町再発見  ~東安堵編~

 

第二回

「町民の安堵町再発見」  東安堵編

実施日時  令和元年9月15日()     9:30出発~11:30  解散     

集合場所  カルチャーセンター前      参加者(スタッフを含む)20名

 

6月の第一回の西安堵・笠目編に続き、爽やかな秋晴れの中、東安堵へ向けて出発!


カルチャーセンター 集合風景

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とんがり帽子の赤い屋根安堵保育園」 西側の細い道が太子道

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太子道(南北)と業平道(東西)の交わる地点。写真左は法隆寺国際高校

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ここから、「法隆寺の五重塔」が見えます。(ピンクの楕円形)

「ホントだ!見えるんだ。」  「知らなかった!」
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「広峰神社」 業平道を少し東へ行くと民家の間に参道が・・・。

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祭神は「スサノオノミコト」 江戸時代には「牛頭天王」を祀っていました。

境内には無患子(ムクロジ)の実がいっぱい落ちていました。台風の風のせいかな?
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広峰神社北の「夜法(ヤップ)山」

陰陽師・蘆屋道満 ゆかりの地とも伝えられている。
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「善照寺 (浄土真宗本願寺派) 写真左より鐘楼・山門・太鼓楼

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樹齢250年冨生の松」 通称「根上がりの松」とも呼ばれる

「町内にこんな見事な松があったとは!」 「来て良かった」
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「本当に根上がりの松だ!凄いね。」 「迫力あるね!」
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ゆっくりと本堂に上がり見学させて頂きました。「ありがとうございました」
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蓮如上人 直筆「六字名号」・・・中央の掛け軸

今日ご参加の町民の皆様へと、ご配慮の公開。「南無阿弥陀仏」
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「本堂の絵天井も素敵やね!」 カメラの腕が今一つですが悪しからず
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秋ですね・・・ムラサキシキブ(コムラサキ)の実が境内の一隅に。
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「太子道」の説明板  福祉センター裏の北

「こんな所にも歴史があるんだ。」「知らないところがいっぱい。」
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「安堵駐在所」の信号   「ここまで来ると道がわかる。」

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「天理軽便鉄道跡」 「大和安堵駅」のあった付近

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「飽波神社」

鳥居の扁額「安久波社」の文字は人間国宝・陶芸家富本憲吉の揮毫 
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神社境内の「聖徳太子腰掛石」・・・太子の案山子が一休み

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安堵町文化観光館 「四弁花(しべんか)今年の8月1日開館

五弁の花「テイカカズラ」をモチーフに富本憲吉が四弁の花の連続文様として作品に描いたことに由来した観光館の命名です。因みに「テイカカズラ」は「ナデシコ」と共に、安堵町の花に指定されています。

「うぶすなTOMIMOTO」も写真右手の木立に見えます。
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「広報誌では知ってたけど、立派だね。」「避難所にもなるらしいね
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「極楽寺」   重文の「阿弥陀如来」の安置されている本堂

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「これ何だろう?」  「お顔が三面」  「阿修羅?!」

本堂近くの松の根元に、今まであったけ?初めて気がつきました。調べてみます。
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「広島大仏」   毎年8月6日には平和祈念式典があります。

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「安堵町歴史民俗資料館」  旧 今村邸

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デュランタ   

「この花、素敵!」「秋は紫色の花が多いね。桔梗や紫苑も。」
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「綿の花」  乾燥した綿が入口付近にありました。これは生きている綿。

「へぇ~!綿ってこんなの?」「蕾は淡いピンク」「花はコットンボール!」

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「大宝寺(融通念仏宗)

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境内には 「筒井順慶供養の五輪塔」 があります。
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「八王子神社」  消防署前の通りを南に入った所に在る。

祭神は「国狭土神くにのさつちのかみ」大将軍垣内の人々によって祀られている小社
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以上で本日の再発見ウォークは終わり。色々なご感想を写真と共に記しておりますが、写真には無い所でのご感想を少し。

「富本憲吉の窯の有った場所に作られた孫弟子・田中氏の安久波窯。初めて寄りました。」

「秋風が気持ち良かった。」

次回も「安堵町再発見」お楽しみに!皆さんも是非ご参加ください。お待ちしております。

 

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2019年6月23日 (日)

町民の安堵町再発見


第一回
  

「町民の安堵町再発見」   西安堵・笠目編  

令和元年6月16日()9:30~11:30  集合場所 カルチャーセンター前


知っているようで知らない自分が住んでいる町のこと。令和の新企画として、町民のみなさん向けの半日の町内ウォークをすることになりました。参加者は何人?とドキドキしながら出発までスタンバイ。

曇り空ですが、少し肌寒い(?)くらいの天候でウォーキングには絶好の朝。一人、二人と集合。スタッフ含めて19名。こどもさんもご一緒の参加でほっこりした雰囲気のスタートです。


安堵駐在所前の交差点

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天理軽便鉄道(新法隆寺駅~天理駅) 大和安堵駅の在った場所
  
大正5年の蒸気機関車のころには現在の安堵駐在所の裏側にありました。往路、天理へは天理教へお参りする人が乗りますが、お参りの後は殆どが奈良へ見物に回ったそうで、復路の汽車では当時、安堵で盛んにつくられた梨が運ばれたそうです。新法隆寺駅前には大きな青果問屋がありました。その梨畑も戦時下で稲作の田になりました。

「うちのお祖母ちゃんは『梨』のことを『有り』って言ってたよ.と参加者からの声。「梨」は「無し」と同じ音だから、反対の意味の「有りの実」と言い換えた。と物の本には書いてありました。

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その後、昭和にガソリンカーに変わったころには、駐在所東側(写真左の白い建物のある場所)に移転しました。東へ延びる道路は軽便鉄道跡です。

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故・辻本忠夫氏のスケッチ画の写真 大正3年の軽便鉄道の工事風景

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東安堵 橋本の布留街道 にある石の道標

飽波神社から西へ進んだ小さな交差点にあります。半分は埋まって( )の文字は今では見えません。右ほり(うし)」「左すてん(しょう)」右へ行くと安富橋から並松を通り法隆寺へ!左へ行くと明治22年に開通した大阪鉄道(現在のJR大和路線)法隆寺駅へ!   ステーション=すてんしょう  面白いですね。

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金剛・葛城・二上山を遠望 
軽便鉄道からも、この山々は見えたでしょう。

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木戸池の軽便鉄道遺構の説明板 池の中央には「築堤の鉄橋跡」が。

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安富橋の踏切  安堵町と斑鳩町の境界付近になります。

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江戸時代(徳川秀忠の頃)に富雄川右岸が決壊した地点

現在の正栄製作所の建物付近だったそうです。信じられませんね!

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法隆寺駅近くの田の中の遺構(レンガ)

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親子連れが水路でメダカを獲っていました。のんびり気分でウォーキング👣

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厳島神社  

安芸の厳島神社の末社で、阿波新家や笠目新家の人々の信仰を集めています。この辺りは斑鳩町阿波と安堵町笠目が入り組んで、同じ家でも半分は斑鳩・半分は笠目と言うお宅もあるとか。これは地元から参加された方からの「へぇ~!」なお話でした。

新家とは・・・江戸時代の富雄川決壊による大洪水の時に大量の土砂で埋まった田畑の上に阿波・笠目にまたがる阿波新家村と笠目新家村が作られたそうです。

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大福寺 笠目にある大念仏宗寺院。江戸時代(1672年)に真言宗から転宗。

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大福寺  「地蔵菩薩立像」 重要文化財

現在は奈良国立博物館に寄託されています。
素敵なお顔をされていますね。

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ご参加の皆様と一緒にガイドも勉強させて頂きました。まさに「再発見」でした!
次回の町内ウォークは9月15日(日)東安堵編を企画しております。是非、多数ご参加ください。詳しくは広報「安堵」にてお知らせいたします。有難うございました。

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